古代ローマ・トイレの落とし穴、その1

豊田 浩志

* 本稿は、日本トイレ協会事務局の求めに応じて『日本トイレ協会ニュース』No.15-1、2(2015/4/20;8/1)に連載された原稿の修正拡大版である。ウェブへの転載をご快諾いただいた事務局のご好意に感謝する。


2014年8月末、ウェブ情報で、イギリス、というよりスコットランドの古代ローマ補助軍の要塞の、木簡出土で著名なヴィンドランダ遺跡から、史上はじめて木製トイレ便座の発掘が報告され、話題となった。これまで公共トイレの便座は石製や大理石製が多く発掘されていた。木製も想定されはしていたが、今回はじめてそれが立証されたわけだ。ヴィンドランダの風土や土壌が有機物を分解しにくいので、この僥倖となったのだが、発掘団は「次はスポンジ発見だ」と張り切っている由。私はさすがにそりゃないだろうとたかを括っている。というのは、地中海産が主流のそれが最果ての北国からそうそう出てくるわけはないし、スコットランドでは事後処理に地元の豊富で感触の心地よい「こけ」を使っていたとどこかで読んだ記憶があるからだが、 ともかくトイレ話にはまだまだ未知の分野が残っていることだけは確かである。

@ 発見木製便座

@ 発見木製便座

そもそも古代ローマ史の文献学徒の私がトイレに興味を持つようになったのは、いつ頃のことだったか。たぶん今から25年以上前の、ポンペイ遺跡に二度三度と逢瀬を重ねた頃だったのではなかろうか。なにが不思議だったかというと、あれだけタベルナ(飲食店)が軒を並べているのに、その店内周辺にトイレが見当たらなかったことだった。飲食すれば自然現象としてもよおすはず、という我と我が身の常態からすると、どうしていたの?、という素朴な疑問が否応なしにわき上がり、その後どの遺跡を訪れてもつい「トイレ」を探す自分に気づいた次第である。

A「タベルナ風景」

A「タベルナ風景」

その結果、私の最初の見立ては間違っていて、あちこちにあったこともわかったのだが、こんなことで始まったトイレ行脚が手探りで10年も続いただろうか。この「穴場めぐり」はけっこう面白い「頭の体操」でもあった。現場体験でおのずと私の知見も深まってきたのだろう、そのうち妙なことに気づきはじめた。一言でいうと、通説への疑問だった。巷間に流布している通説の多くはもっともらしい憶説にすぎないのでは、というわけだ。ちょっと考えればそのおかしさに気づくはずなのだが、だから「頭の体操」なのである。しかし、生活誌の一環として触れられることこそあれ、その当時、研究レベルでの報告は皆無に近い状況で、そういう中で拙い試論を公にする勇気は私にはなかった。この状況が一変したのは21世紀に入ってからで、どういうものか陸続と専門研究が公刊され出し(代表的先達を挙げれば、オランダ人 Gemma C.M.Jansen 女史と、英国人のリタイア家庭医師 Barry Hobson 氏で異論なかろう)、それによって私見の足らざる面や着眼点を検証することが可能になり、ある程度自信を持って私論を提示することもできるようになった。


古代ローマのトイレについては、以下のように言及されるのが常だろうか。「古代ローマ人の、エトルリア渡りの上下水道技術はすばらしかった。すでに水洗式の公共トイレもあって、壁沿いのベンチに穴がくりぬかれ、それに腰掛けて用を足した。汚物は下水道経由で河川に流された。ただ現在と違い便座間に間仕切りはなかったのでプライバシーはなく、むしろ会話を愉しむ社交場の趣きだった。排便後の後始末は海綿(スポンジ)でやった」。かなり気のきいた解説では、このような公共トイレは例外なく公共浴場に隣接していて、それは浴場での排水再利用のためだったこと、そして個人の邸宅ではだいたい台所にトイレがあり、よって「台所トイレ」と称する、といった点にも触れていたりする。

ただ、前もってお断りしておく。研究者は証拠に基づき述べているつもりでも、その論が行き着くところが必ずしも真実のすべてではない。トイレ話の落とし穴はいくつもあって、たとえば、トリマルキオのような大富豪は常に尿瓶担当奴隷を同伴し、指ぱっちんで周囲を奴隷たちに取り巻かれ、プライバシーを守りながらどこでも用をたすことができたし、また自室の寝台下には尿瓶が常備されていて、現代人同様ここでもプライバシーを守りながら用を足すことができた(ペトロニウス『サテュリコン』27;マルティアリス『エピグランマタ』III.82;VI.89;XIV,119:尿瓶携帯は古代ギリシアの壺絵の画題だった)。

B Getty博物館所蔵赤絵壺(部分):前470年頃

B Getty博物館所蔵赤絵壺(部分):前470年頃


他方、世間体を気にしないですむ社会層は、おそらく男女限らず、場所もはばからず(壁に向かったり路地や、他人の果樹園や菜園に入り込んで)、すなわちそこら中で大小の用をたしていたのが現実だった。となると、いわゆる公共トイレの位置づけも再検討されてしかるべきだろう(私は、あれは非富裕層対象の、大便専用施設だったのではと密かに考えている)。なにしろ小便は再利用の価値があったので、洗濯業者や縮充業者や皮なめし業者の私設簡易トイレとして、街頭や路地に立ちション用の壺=アンフォラ(これも廃品活用の)が立てかけられていた。また、下水溝を備えていない大多数の個人住宅では、かつての我が国と同様、糞尿は地下に埋められた便壺やドリウムに溜められ、業者が汲み出して都市近郊の農地に運ばれ、家畜のたい肥の補助肥料として利用されていた(C)。要するに公共トイレは貴重な資源の浪費だったし、公共浴場ともどもいわれているほど清潔な空間だったわけでもない。むしろネズミや蛇を媒介とした感染症の発生源ともなっていた、というのがいつわらざる現実だった。盛んにその先進性が喧伝されてきたポンペイだが、実はほとんど下水道が敷設されておらず、ウェズヴィオ山の斜面立地を利して、あの石畳の道路がその役目を果たして汚物を下方に垂れ流していたのが現実で、それでこそ、他に見られないポンペイ特有の街路の飛び石の役割も正しく察することができるのである。以下、典拠なし写真は豊田撮影である。

ポンペイ特有の街路の飛び石

ポンペイ特有の街路の飛び石


ことほどさように話題にこと欠かないが、遺跡を経巡ってよく出会うのは「台所トイレ」なので、まずは「台所トイレ」を軸に話を進めよう。実はこれには2種類あるのだが、遺跡で目にするのは、台所の片隅ないし周辺に固定設置されたもので、便座の台座部分と足下で水を流すため貼られたスレート状の平瓦(tegula)が目印となる。ここではエルコラーノ遺跡の「コリント式中庭の家」Casa dell’Atrio Corinzio(v.23)を挙げておく。

台所トイレ:平瓦が敷かれ手前が高くなっている

台所トイレ:平瓦が敷かれ手前が高くなっている

D 参考事例:ポンペイのVettii家(VI.15.1)発掘時のかまと?

D 参考事例:ポンペイのVettii家(VI.15.1)発掘時のかまと?

仕切り壁の左側構造物は調理台で、あの上に五徳(ごとく)を置いて木炭を燃やしていた(台の下の空間は燃料置き場であって、焚き口ではない)。右側がトイレだが隅石と便座は失われてしまったものの、足下のスレートはかろうじて目視できる。下図のEで表示しているように、用が済んだら水を流し、汚物はあるいは地下深く堆積している火山礫の中に拡散浸透し、あるいは排水溝で屋敷外の下水溝へ向うか、なんとそのまま道路上に流れ出す仕組みになっていた(その手前に汚物だめは設置されていたとはいえ)。

E-1 固定型台所トイレ模式図

E-1 固定型台所トイレ模式図

トイレがなぜ台所にあるのか。現代的な衛生感覚ではいぶかる向きが多いだろう。台所で働く女性=主婦専用のトイレだったから、ともっともらしく説明されてきたが(よって「主婦トイレ」とも称される)、どうだろう。ここには2つの落とし穴がある。一つは、古代ローマ時代は基本的に奴隷制の上に成り立っていた、という事実である。現代社会が電力抜きでは何もできない事態に我らは最近直面したが、かの時代、動力や機械代わりが奴隷だったということを認識するなら、たとえ中流家庭の女主人といえども自ら台所に立ったり家事をすることはあり得ないだろう(F)。またプライバシーはまったく考慮されていないので、奴隷用のトイレだった可能性が高いはずだ。

第二の落とし穴はより重要、と私は思っている。Gのエッチングは19世紀末-20世紀初頭に編纂された優れた古事物辞典の掲載で、以下がその解説である。「周囲より高くなっている石造りの2つの台座は、足の位置を示している(1)。右側を支えている隅石(2)の上には便座があったが、現在は消失している。急な傾斜(3)が壁の奥(5)のトイレの底へと傾き、下水道につながっている。上階から降りている1本の管(4)は、その大きさから見て家庭排水の排水管か二階にあるトイレの排水管だった」。ちょっと横道それるが、ここでさりげなく、すでに二階での生活排水やトイレの存在が喝破されていることにご注目願いたい。

図G 固定型台所トイレ現況

図G 固定型台所トイレ現況

古代ローマ人のみならず現代イタリア人の生活空間を考える上で基本的に重要な、しかし肝腎の生活実感に乏しいためだろうが、凡百の専門家がうかつにもこれまで見落としてきたポイントがここにある。すなわち、彼らの日常生活の主要区画は我が国でいう二階にあった。遺跡巡りの見学者が例外なく陥りやすい誤解、それは遺跡は通常一階や土台部分しか残存していないので、その限りでかつての景観を再現してしまい勝ちだという点である。ちなみに現代イタリアにおいてすら、我らのいう一階を「地階」pianoterra、二階を「一階」primo piano と表現していることから明らかなように、大地に直結した一階は人が生活する適切な場とは考えられておらず、実際もっぱら店舗や作業場として活用されていて、二階がもっとも安全で便利な居住空間(「貴族の階」piano nobile と称される)とされている。このことから学ぶべきなのである。遺跡の全体構造を、現在失われてしまった上階で主人一家は生活していたという視点で見直すとき、従来の皮相な見解は根底から揺らぎ出すだろう。大邸宅では二階に台所もトイレも常備されていた、ということは、自然の重力による排水管はいうまでもなく、おそらく上水道も都市計画レベルではサイホンの原理により上階揚水の工夫がなされていたに違いない(もちろん、大部分の庶民はそういった恩恵に浴さず、奴隷が運び上げていたが)。

H階段下ニッチ・トイレ

H階段下ニッチ・トイレ

平面図

平面図


閑話休題、台所トイレに話を戻そう。なぜ台所にトイレなのか。E-1のバケツで明らかなように、台所から出る生活排水の再利用に都合がいいからだったに違いない。かくのごとく一階は基本的に奴隷居住空間だった可能性が高い。

I可動便座復元品:中に容器収容

I可動便座復元品:中に容器収容

もう一つの台所トイレは平瓦なしの空間で、そこに残存していない木製の箱が置かれ、その中に汚物受け容器として壺や樽が入っていた、と考えられている。これは可動式でどこにあってもいいが、二階や中二階への階段下が定位置と想定されている。ということは、プライバシーへの配慮がない場合は奴隷用で、しかし設置場所が主人一家の居住域だとおのずと話は違ってくる。

J-1 Carnuntum出土の女性用?尿瓶(2,3世紀)

J-1 Carnuntum出土の女性用?尿瓶(2,3世紀)

J-2 Pompeii,VI.i.1出土の男性用?尿瓶

J-2 Pompeii,VI.i.1出土の男性用?尿瓶

J-3 男性用?尿瓶図案

J-3 男性用?尿瓶図案

J-4 女性用?テラコッタ製尿瓶

J-4 女性用?テラコッタ製尿瓶

J-4 女性用?青銅製尿瓶

J-4 女性用?青銅製尿瓶

こういった場合に使用された壺や樽の出土物に、私はなぜかこれまで博物館で対面したことがない。気づかなかっただけだろうか。展示がはばかられて収蔵庫にお蔵入りになっているのだろうか。Jは当時の尿瓶の貴重な写真である。おのずと形態は男女別だったようだ。朝これを持ち出して中身をしかるべく廃棄したのは、もちろん奴隷の仕事だった。

K 前5世紀、赤絵のアッティカ盃:オマルに跨がる女性(ナポリ国立博物館)

K 前5世紀、赤絵のアッティカ盃:オマルに跨がる女性(ナポリ国立博物館)


さて今から10年ほど前、考古学には素人ながら古代ローマ・トイレ事情をちょっと突っ込んで調査しようという気になった頃、幸いにも文科省科研に採択され本格的な現地調査が可能となった。もちろん研究テーマは真面目な学術的体裁だったが、私にとって主要な現場はオスティア、ポンペイ、エルコラーノのトイレであり、現在もそれは継続中である(L)。おかげで発掘抜きの表面調査とはいえ、連年の現地訪問により飛躍的にマル秘情報を増やすことができた。というのも、遺跡には一般観光客には非公開の場所がある。遺跡保存と見学者の安全を配慮してのことだが、調査のお墨付きで許可をとるとそこも見学できるからだ。その点で効果抜群だった事例を納税者諸氏にご披露し、ささやかだがご恩に報いよう。

まずは、かつて帝都ローマの外港だったオスティア。往時テュレニア海に注ぐティベル河口に位置していたが、現在は2キロ内陸になっている。この遺跡に例外的に二階が残っている箇所があって、そのひとつが「天井画の家」Casa delle Volte Dipinte(III.v.1:後120年頃創建 M)である。この建物は外壁の厚さ65cmを根拠に少なくとも三階建と想定されている。この独居型建物の用途には変遷があったようで諸説あるが、一階の北西角(X)は三世紀末ないし四世紀前半にタベルナに改装され、現在そこだけ公開されている。他の一階は多彩な壁画と舗床モザイクで著名で、例の秘画もあって売春宿と目される根拠となっている。上階(二・三階)はホテルないし集合住宅と考えられている。一階から三階まで続く幅広い外階段と、二階から三階に向かう狭い内階段もあって、これらがどのように使い分けられていたのか、なぞである。前者が主として居住者や宿泊客用、後者が使役奴隷の作業空間だったのだろうか。

M-1 一階平面図 ←N

M-1 一階平面図 ←N

NM-2 二階平面図

NM-2 二階平面図

2008年夏の調査でこの建物の一階の見学が許された。その頃、二階は公開されていたのでこれで両階を併せて検討することができ、私にとって大収穫だった。第一に興味深いのは、二階から三階への内階段の鼻先をかすめて、窓際にトイレが設置されていることで(XXV東端:排水管は直径20cm級)、しかもその二階トイレの両脇に、左側に台所および水槽(XXVI)、そして右側には風呂場(XXIV)が設置されていて、そこで生じた汚水が排水路を通じて両側から二階トイレに流れこむ構造となっている。なにしろこのトイレ、通路の隅だからプライバシーはまったくない。便座の台座の痕跡はないが、しゃがみ込むか上記可動型に似た木製便座があれば用がたせただろう

左が台所、正面窓下が二階トイレ、右が風呂場

左が台所、正面窓下が二階トイレ、右が風呂場

二階台所:左にかまど、右に水槽

二階台所:左にかまど、右に水槽

二階トイレを内階段から見下ろす

二階トイレを内階段から見下ろす

風呂場:入口の土手に注目

風呂場:入口の土手に注目

第二に、この二階トイレの真下の一階にも台所が設置されていて(VII)、上階から直径20cm級の、まさしく二階トイレの排水管が壁隅にいささか不格好に埋め込まれ、降りてきている(M-2)。このような土管の壁面埋め込み工法は、オスティアやポンペイ遺跡でよく目撃され、それらが後年の付加的設置であった可能性を強く感じさせる。現況では台所トイレは原型を留めていないが、地下の排水溝直前の段差構造物にぽっかり開いた空間がその痕跡のようだ。なお、この建物の東側外部には側溝が掘られ、排水管開口部付近には石造りの排水マスも目視できる。

一階台所:右にかまど

一階台所:右にかまど

M-2 一階台所模式図

M-2 一階台所模式図


排水管と台所トイレ跡?

排水管と台所トイレ跡?

M-3 東壁付近断面図

M-3 東壁付近断面図


立派な二階トイレをもうひとつ紹介して本稿を閉じよう。ポンペイ遺跡には例外的に二階の壁が数カ所残っているが、観光客にも見学可能な場所はV.i.30と31である。その二階部分に煉瓦のアーチで補強されたニッチがあり(それもあって残ったのだろう:なお、右下横に四角い穴が三箇所みえるのは、二階の床を支える梁穴)、そこから壁隅に沿いテラコッタ製の排水管(直径20cm級)が下に延びている。

←N  左端が30番地、中央が31番地。角地はタベルナ

←N  左端が30番地、中央が31番地。角地はタベルナ

↑ N N

↑ N N

VI.i.30 二階トイレと排水管

VI.i.30 二階トイレと排水管

E-2 二階トイレ模式図

E-2 二階トイレ模式図

31番地一階のトイレ・ニッチ

31番地一階のトイレ・ニッチ

これだけでも見ものなのに、もう一つどっきりが用意されている。その壁の裏側の31番地の一階を覗くと、なんとそこにもしっかりとアーチ型ニッチが設置されているのだ! しかもこの区画は壁で個室状になっているので、プライバシーも保てる。ニッチの奥行きは約30cm。若干前屈みで着座し、事後は使用済みの台所汚水を流し込んでいたのだろう。店舗30と31番地の隔壁の上下にアクロバット的にニッチ・トイレが設置されているということは、建設当初から計画的にそう設計され、よって地下におそらく南向けで排水溝も敷設されているはず。

上記二例を根拠に、一階で壁面の直径20cm級の排水管に隣接してトイレが設置されていたら、二階トイレを想定するのは、はたして行き過ぎだろうか。それはともかく、今や幻の存在となった古代都市の二階トイレや台所の実在には、ご納得いただけただろうか。


【引用文献・ウェブ】
@ http://archaeologynewsnetwork.blogspot.../../roman-toilet-seat-found-at-vindolanda.html#.VNdJsHZ8xHA
A August Mau (trans.by Francis W.Kelsey), Pompeii.Its Life and Art, New York,1907, p.277, Fig.131 (=http://www.gutenberg.org/ebooks/42715).
B届け出ずみ:http://www.getty.edu/art/collection/objects/12013/oionokles-painter-attic-red-figure -oinochoe-shape-3-chous-greek-attic-about-470-bc/
C 池口守「古代地中海世界の都市近郊農業:ローマ人は人糞尿肥料を用いたか?」徳橋曜編著『環境と景観の社会史』文化書房博文社, 2004年, 13-47頁;参照, 山本晴樹「ローマ農業における『肥料』問題:特に動物肥料について」『古代文化』32(1980), 769-774頁.
D Mau, Pompeii, p.267, Fig.125掲載.
E-1 Gemma C.M.Jansen, Water in de Romeinse stad:Pompeji-Herculaaneum-Ostia, Maastricht, 2002, p.61;-2 p.60.
F アルベルト・アンジェラ(関口英子訳)『古代ローマ人の24時間』河出文庫、2012年、257頁以下によると、庶民の家でも「たいてい五人から一二人の奴隷が働いて」いたとしている。
G coll.par H.Thedenat, in:Daremberg et Saglio, Dictionnaire des antiquites grecques et romaines, Paris, 1877-1919, III/2, p.990.
H W.Gell & J.P.Gandy, Pompeiana, London,1824, vol.2, p.81. cf., pl.27:その上階にもトイレが想定可能。これはPompeiiのVI.ii.4のCasa di Sallustioのもの。その説明によると、26. Kitchen, and latrine for the women’s apartments. On the right of the way up stairs is the hearth for cooking, separated there from by wooden balusters, which do not remain. On the other side is an arched recess, about three feet deep, containing the latrine. The wood work of the seat is gone : the marks for the hinges, and fastening to the door, may be observed.
この家には、もう一つ野外にトイレ(22)があった。付け加えると、第二次世界大戦の折に、アメリカ軍の空爆に見舞われ、(26)は跡形もなく消滅し、現在は物置になっている。
I Hobson, ibid., p.41, fig.56掲載.
J-1 Ed.by Jansen, Ann Olga Koloski-Ostrow and Eric M.Moormann, Roman Toilets:Their Archaeology and Cultural History, Leuven, 2011, p.98;-2 Hobson, ibid. ;-3 ジャクリーン・モーリー/文, ジョン・ジェイムズ/画(桐敷真次郎訳)『古代ローマの別荘(ヴィラ)』三省堂, 1993, 15頁 尿瓶, 20頁 二階の寝台下の尿瓶;-4 Paul Roberts, Life and Death in Pompeii and Herculaneum, London, 2013, p.128;以下も参照, スティーヴン・ビースティ/イラスト、アンドルー・ソルウェー/文(松原國師監訳/倉嶋雅人訳)『図解古代ローマ』東京書籍, 2004, 11, 27頁.
K https://www.pinterest.com/pin/220324606742600958/
L いずれも基盤研究(B)。2008-10年度「古代ローマ都市オスティア・アンティカの総合的研究」(研究代表者:日本大学・坂口明);2010-12年度「古代イタリア半島港湾都市の地政学的研究」(豊田);2014-16年度「ポンペイとエルコラーノの都市システム研究:物流、消費、廃物処理」(久留米大学・池口守)。以下の拙稿Web論文もその成果の一部:http://pweb.sophia.ac.jp/k-toyota/monbukaken2010-2012/pdf/Koji-TOYOTA_Ambiente-dei-Sette.pdf
M-1 B.M.Felletti Maj, Ostia-La casa delle volte dipinte, in:Bollettino d’arte, Ser.4, 45, 1960, p.47, FIG.2;-2 p.48, FIG.3:この再現図ではトイレは想定されていない;-3 p.49, FIG.4.
N 平面図は以下からコピー。Ed. by John J.Dobbins and Pedar W.Foss, The World of Pompeii, London & New York, CD-ROM;cf.,The RICA Maps of Pompeii,Pars III,Roma, 1984.

(2015/3/1初稿)