マクスウェル後のメディア旺目指す カナダの実業家C・ブラック
                                              鈴 木 雄 雅
                                               (上智大学)
                              『新聞通信調査会報』No.372(1993.11), pp.4-7.
                               2000/9/10 加筆
 マードックに対抗
 世界のメディア王ルパート・マードックの動きが再び活発化している。まず、資金のやりくりで廃刊に直面していた『ニューヨーク・ポスト』を、連邦通信委員会の特別許可を得て再買収した。既に四百万ミ以上の資金を注ぎ込んでいる同紙は一九七七年からマードックが所有し、八八年三千七百万ミで売却した新聞である。続いてアジア全域をカバーする香港の世界最大級の衛星放送会社「スターTV」の株式六三・五%を五億二千三百万ミで取得し、同社の支配権を握った。他方、同地の英字新聞『サウス・チャイナ・モーニング・ポスト』(一九八六年獲得)の保有株三四・九%を中国系マレーシシア人実業家に三億九千四百万ミで売却した。
 一昨年、競争相手だったロバート・マクスウェルが消え去り、昨年彼の跡継ぎと目された息子のケビンらが逮捕されて、ミラー帝国(MGN)の崩壊は現実化した。数年前負債地獄に陥り、一時防戦を強いられたマードックの復活、とくに中国・アジア市場での動きは味深いところである。その彼に対抗する新しいメディア・モガルがいま、生まれようとしている。

 コンラッド・ブラック
 コンラッド・モンターギュ・ブラックの名がイギリス新聞界に彗星のごとく登場したのは、一九八〇年代半ばである。このカナダ人実業家は八五年、経営難に陥っていたベリー家所有のテレグラフ社買収に参入して、一躍名を高めた。同社株の五〇%取得に三千万ポンドを費やし二年後には経営権を握る。その結果、『デーリー・テレグラフ』『サンデー・テレグラフ』という全国、日曜高級紙を手中に収めた、今日の英新聞界「ビッグ・ファイブ」=大衆紙『デーリー・メール』などをもつ三代ロザミア卿(ノースクリフの甥)、故マクスウェル、マードック、『デーリー・エクスプレス』を獲得したユナイティッド社会長D・スチーブンス卿、そしてブラック=に名を連ねるようになったのである。
 その一方、『ニューヨーク・デーリー・ニューズ』買収にも乗り出し、七千五百万ミを投じて同じカナダの実業家・出版王M・ザッカーマンらと渡り合ったことは記憶に新しい。これには失敗したものの、マクスウェルと同じく、オーストラリアのメディア界に触手を伸ばし、九一年最古参のJ・フェアファック・グループを傘下に収めた(本紙六月号参照)。同地の高級日刊紙『ジ・エイジ』買収の際にホーク政権に嫌われたマクスウェルとは対称的に、P.キーティングやJ・ヒューソンといった現在の与野党首脳とは相性がいいのか、今年に入り外国人株の上限が引き上げられるとともに、日刊新聞市場をマードックと二分する急成長ぶりを示している。
 
 八歳でGM株を買う
 さて、そのコンラッド・ブラックは一九四四年八月二十五日、パリ解放の日にモントリオールで生まれた。今年四十九歳である。一家は祖父の代にイギリスから移民してきたが、母方ライリー家のルーツを探ると、母ジーン・エリザベスの曾祖父はロンドンで『海事ガゼット』を創刊したあと、『デーリー・テレグラフ』シンジケートの一員に加わっているのも何かの因縁か。祖父ブラックはカナダ中部のウィニペグで酒造業に成功したが、大恐慌でつまずく。それでも父のジョージ・M・ブラック・ジュニアが空軍パイロットから転身して、酒造業界のトップにまで登りついている。コンラッドには四歳年上の兄モンターギュがいる。彼とライリー家があらゆる面でコンラッドのブレーン格におり、同族経営の感があるのは否めない。 コンラッドは八歳のとき、六〇加ミでゼネラル・モータースの株を一株買い、今でも持っているという。カールトンとマックジル大学で歴史を専攻し、ラヴァル大学でも法律を学んだ彼は七〇〇頁以上を費やし、数十年にわたりケベック州首相を務めたモーリス・デュプレッシの伝記を学位論文として提出している。『カナダ大百科事典』のデュプレッシの項を彼が執筆している。

 顧問団にキッシンジャーも 
 三〇代そこそこの青年実業家ブラックが頭角を現したのは、一九七〇年代終わりに七百万ミ以上の資金を注ぎ込み「クーデター」に近い買収劇で、当時カナダの一大投資会社であったアーガス・コーポレショーン(一九四五年創立、父親が大株主だったが失脚させられた)の経営権を手に入れてからである。同社は買収時、ホリンガー出版、スターリング新聞社、スタンダード・ブロードキャスティングといったメディアをはじめ、ドミニオン・ストアー、モテル経営のスランバー・ロッジ、エネルギー、資源源開発など多彩な会社株を所有していた。この時以来、ブラックはカナダ経済界において立志伝中の一人にあげられるようになる。

 ところが、ブラックと新聞との関わりあいは、それより十年程前にさかのぼる。親友のひとりに誘われて三〇〇部程度小週刊紙『イースタン・タウンシップ・アドバタイザー』、さらに獲得したフランス語週刊紙や『シーアブルック・レコード』などでも利益をあげた頃である。その後七〇年代初頭にかけて、カナダの地域紙・地方紙を買収して、新聞経営に乗り出した。十年後には二十一紙を傘下におさめたスターリング新聞社が年五百万ミの利益をあげるまでに成長した。ただし、どれひとつ、新らしく新聞を創刊したわけではない。
 そして幸か不幸か、兄の離婚慰謝料を肩代わりするために非マス・メディア分野の会社を整理したこと、またホリンガー出版の急成長が彼に本格的な新聞出版事業への決意を固めさせたようだ。メディア帝国の構築のためには旗艦紙が必要だった。その結果の幾つかが前述したような名のある新聞、メディア・グループの買収獲得である。
 九一年の一日の新聞総発行部数は二百五十万部、十三億ミ以上の売り上げがあった。小新聞ではあるが北米・カナダ、そしてイギリスやイスラエル、オーストラリアは高級紙をもち、世界中で百紙以上の日刊紙、二百近い週刊紙・誌を所有または経営している(図1参照)。
 その多くはカナダのホリンガー・グループを頂点として各国の子会社に所有されている。ブレーンに多くの政財界の人物を抱えているのもブラックの性格を物語っているのではないか。例えば、英国ではジェームズ・ゴールドスミス、キャリントン卿、ロスチャイルド。国際アドバイザリーにブレジンスキー、ヘンリー・キッシンジャーという国務大臣級をそろえ、オーストラリアでもゼルマン・コーエン元総督、州最高裁経験者などが取締役にいる。
 
 『テレグラフ』再建で英に拠点
 九一年の営業利益は二千二百八十万カナダミだが、子会社のアメリカン・パブリッシュイングで二億カナダミ以上、ユニ・メディア社が一千六百万カナダミ近くと、北米地域で二億八千万カナダミ近くの負債を抱えていた。それでも、メディア買収を進めるやり方は、マードック、マクスウェルと同じである。保有していた『エクスプレス』の親会社ユナイティッド株を売却すると、次に『デーリー・ニューズ』株五〇%取得のための資金作りに『テレグラフ』の持ち株売却、新規株の発行といった具合に、やりくりしてでもさらに次を目指すというメディア・モガルの必須条件を満たしている。それでもなお、ホリンガーはテレグラフ社株の六八%を維持し、ブラックは取締役会長の座を占めてコントロール権をもつことに変わりない。
 しかし、マクスウェルがミラー・グループの積立年金など他人の金を使ったことには強く非難する―「私はマクスウェルではない」。

 マードック、マクスウェルに続け
 一八五五年、A・B・スレー大佐が創刊した『テレグラフ』(最初は『デーリー・テレグラフ・アンド・クーリア』)はペニープレスとしてたちまち読者を得て二十万部の部数を数え、初代ノースクリフ卿の『デーリー・メール』、ビーバーブルック卿の『デーリー・エクスプレス』が登場する以前の、すなわち十九世紀後半のフリート街の主役となった。しかし、今世紀初頭から前述したプレス・バロンの台頭におされ、部数は急降下、一九二八年には八・四万部にまで落ち込んだ。
 この年、『サンデー・タイムズ』『ファイナンシャル・タイムズ』など有力紙を傘下にもったアマルガメイティッド・プレスの総帥ウィリアム・ベリー(一八七九−一九五四、のちカムローズ卿)が弟のゴーマー・ベリー(一八八三−一九六八、のちケムズレー卿)らとともに同紙を買収した。三七年にはカムローズ卿の単独所有となったテレグラフ社は、イングランドの最古参『モーニング・ポスト』を合併し、当時の『タイムズ』発行部数の倍の五十万部と読者数を盛り返した。以後二代カムローズ卿の長男ジョン・サイモア、そして次男のマイケル(ハートウェル卿)がテレグラフ社を継いだ。六一年、全国高級紙として初の日曜紙『サンデー・テレグラフ』を創刊している。

 しかし、一九八〇年代に入りフリート街を襲った技術革新の波に対応できず、『デーリー・テレグラフ』も経営難に陥り、英新聞界への侵攻を狙っていたC・ブラックの手に渡ったのが一九八五年の暮れのことである。コンラッドはすぐさま改革に着手した。それまでの四千人従業員から半分以下へという大幅削減とドッグランドへの移転による経営合理化策を進め、初年度八百万ポンドの赤字を出していた同紙をわずか五年後には四千万ポンドの黒字収支に変える。それは、この売却劇を画策した『エコノミスト』の編集長アンドリュー・ナイトを新社長に迎え、毎週確実に一千人は減っていた読者、とくに若者に魅力のなかった紙面の改革を断行、二十五−三十四歳読者で二五%増という快挙を成し遂げたことも理由のひとつにあげられるだろう。
 こうしてブラックはついに「王冠の宝石」を手に入れた。『テレグラフ』は創立以来、一貫してトーリー紙である路線は変わらない。
 余談だが、この『テレグラフ』身売りの前後、新高級紙発刊の野望に燃えた男らが同社にいた。『インディペンデント』創刊した、A・W・スミスム、M・スサイモンズ、S・グローバーである。A・ナイトは現在マードックのニューズ・インターナショナル取締役会長の座にいる。

 メディア・タイクーンへの道
 話をコンラッドに戻すと九一年、盟友といわれるスティーブンスの『インターナショナル・エクスプレス』に負けじと、海外普及版『ウィークリー・テレグラフ』を創刊した。日刊版と日曜版の『テレグラフ』のダイジェスト週刊紙として、同年オーストラリアのパース、九二年二月からシドニーへ進出。現在七万部発行のうち三分の二はオーストラリアで売るが、北米、フランス、スペイン、南アフリカ市場への拡大を期している。
 この間、商業局チャンネル5の獲得コンソーシアムに参加する一方、それまでのロンドン地区の番組制作会社テムズTVに代わって免許を受けたカールトンTVの経営に潜り込んだ。さらに、合併独占委員会に阻まれることは明白であると感じながらも、依然としてMGNの買収にも意欲を示している。
 そして、昨年(92年)十一月、カナダではトムソンと並ぶ新聞チェーンで古い歴史をもつサウザム社に買収を挑み、トールスター社から二億七百万ドルミで二三%株の取得に成功したのである。これでがぜんカナダ・メディア界におけるブラックの動きが注目される。というのは、ブラック自身、七九年『グローブ&メイル』や『フィナンシャル・ポスト』など主要紙を擁したFPパブリケーションズの買収を計画したが、最終的にはケネス・トムソンに奪われ苦汁を飲まされたという経緯があり、これにより、トムソンとサウザムの二巨大メディアが八〇年代のカナダ新聞市場を独占するに至ったからだ。それは、ブラックが破れたこの買収劇に端を発して「新聞に関する王立委員会」(通称ケント委員会、八一年)が設置され、新聞チェーンによる新規の新聞買収を規制すべきなどの勧告が出された背景も見逃せないだろう。ブラックはいわばこの十五年前の恨みを返すことにより、カナダ新聞界を新しい局面に立たせたことになる。 この五年間の成長率が四八七%という驚異的な伸びを示し、メディア業界第七位のホリンガーが同四位のサウザムを買収した結果、総売上高は市場第三位の二十億カナダミになるが、トップのトムソン(七十億カナダミ、全産業界で十三位)とはまだ開きがある。

 ナポレオンを信奉
 よく言われることだが、初代ロザミア卿や『ザ・タイムズ』の前所有者で、現在でも英地方紙に確固たる勢力を持つトムソン・グループ創立者のトムソン卿はカナダ出身である。ロイ・トムソンの英国上陸は『スコッツマン』を買い取った一九五三年。そして、ダウンアンダーからやってきたマードックが『ニュース・オブ・ザ・ワールド』、『サン』を買収してイギリス新聞界にその橋頭堡を築いたのが一九六九年である。この二人はのち『ザ・タイムズ』をもつことにより、その名声が世界に知れ渡る。そのマードックと幾度か対決しては破れたものの、チェコ出身のマクスウェルは一九八四年『デイリー・ミラー』を手に入れて、念願のフリート街に凱旋し短い栄光に酔った。数年を経ずしてコンラッド・ブラックというカナダ人が百三十年の歴史をもつ新聞の所有主となった。いずれも、およそ十五年程で新しいメディア・モガルが登場している。
 彼らをたどっていくと、J・タンストールが『メディア・モガル』で述べているようなメディア・モガルの姿が垣間見える。いわく、起業リスクを背負いながらも、その独特な個性とエキセントリックなやり方で巨大なメディア・ビジネスを展開する。このメディア企業は創業のみでなく、実際には大規模な買収、乗っ取りが重要な要因となる。この起業精神と経営展開がモガルを「王位継承者」と一線を画するところとなる。このクラウン・プリンスを手に入れるのはメディア起業家の第二世代であり、典型的には創業者の父から多くのマス・メディアを引き継ぐが、時として息子ではなく、未亡人、甥、近親者であったりする。そして非メディア・ビジネスを所有経営している者もいれば、別の産業界で主要地位を占めて巨大メディア株を操作する者もいる。これ以上紙幅を割く余裕がないが、確かにマードックやブラックに共通する点が多い。
 R・レーガン元大統領、M・サッチャー前首相を賞賛し、ナポレオンを信奉するというコンラッド・ブラックが英・豪・北米大陸にわたるメディア・エンパイアを築くのが一九九〇年代なのであろうか。果たしてマードックと互角の競争を挑むつもりなのか。だとすれば、破竹の勢いの中でかつてナポレオンが犯したワーテルローあるいはモスクワの戦いのような時が、いつやって来るのだろうか。

【参考文献】
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Snoddy, Raymond(1992) The Good, The Bad and  The Unacceptable . London: Faber & Faber.
Tunstall, J.and Palmer, (1992) M.  Media Moguls.  London Routledge.