目指すべき新聞づくり 新聞ジャーナリズム再考

(『物流ニッポン』1998年11月30日号、創刊三十周年記念特集・寄稿、16頁)

タブロイドの週刊から専門紙でも珍しいブランケットの日刊紙に成長した本紙『物流ニッポン』が創刊三十周年を迎えたことをお喜び申しあげるとともに、さらなる発展を祈って、少々苦言に聞こえるかもしれないが、以下日頃考えるところを書かせていただく。

マスメディアの役割

 現代社会において新聞を取り巻く環境は厳しい。それは新聞人、新聞社自身が感知していることであろう。が、認識しているかとなると、いささか心もとない気がする。かつてバラ色の夢を描いたニューメディア論争も、いざ現実味を増してきた今日、それとは別次元でインターネット社会を迎えつつあるいまを、当時どれだけの人々が想像したであろうか。ある種の「閉塞感」がいま日本社会を覆っている。新聞界もその渦のなかにいる。

 正直言って、新聞はとまどっているのではないか。

 それは日本の新聞経営の根幹ともいえる部分(少なくともそう信じていた)への風当たりの強さ〈再販制論議〉のみならず、〈記者クラブ制度〉への批判、はたまた報道と人権をめぐる問題や相変わらずの誤報の繰り返しなどに集約されるかもしれない。最近出版された『新聞が面白くない理由』(岩瀬達哉著、講談社)も、記者クラブの堕落(第一章)を巻頭にもってきているが、「突っ込んで問題の本質を論じようとしない」と姿勢に憤りの声をあげている。

詳報・解説性に強み 

 のっけから新聞業界に対する批判めいたものを書いてしまっていいものか、と思った。が、専門紙と言えども新聞界、はたまた社会のなかでのマス・メディアとしての役割・機能には共通項があるわけで、まず第一にそれをもう一度考えてみたい。

 新聞は大別すれば、五つの機能−−すなわち報道、評論、教育、娯楽、広告があると言われる。とくに総合紙、一般紙は万遍なく社会事象をとりあげることで長い間一定の存在意義があった。言い換えると、全方位的な網羅報道と揶揄(やゆ)されることもあるが、と同時に、さまざまな角度から報道して、社会全体の文脈のなかに位置づけるような詳報性と解説性が新聞メディアの本当の強みであることを忘れていないだろうか。

専門紙の役割再考

 さらにはエディトリアル性、フォーラム性といった評論機能の充実は、これからの新聞にとって大いに目を向けなければならない点でもある。

 そうした機能、役割は専門紙でも同じではないだろうか。

 専門紙のなかで機関紙や広報・PR紙などの特殊紙を別とすれば、複数の業界を対象として幅広い読者をもつ総合業界紙、例えば『日刊工業新聞』の類あるいは『日経流通新聞』のように生産、流通、消費の流れを総合的に報道する、「横断的業界紙」とも呼べる新聞もあり、専門紙といっても一元的に括れないところがある。しかしながら、大部分は特定の業界を中心に、その関連業界をも対象とする紙面づくりが特徴とされる特定業界紙である。本紙『流通ニッポン』もこのジャンルに含まれるだろう。

 言うまでもなく、一般紙と専門紙と異なる最大の点は読者である。もちろんとりあげられる記事内容のテーマが一般紙のそれ(全方位的網羅報道)でなく、専門業界に限られるというのが特色であることに間違いないが、それも特定の限られた読者ということから出発しているものと考えられる。とすれば、一般紙と比べて、専門紙の読者市場がいわば業界自身であり、かつ読者が同時に広告主であるという特殊性はいかなる意味をもつのか。この辺りをもう一度考えてもいいだろう。

読者ニーズが変化

 一般紙も最近は経済面が充実し、はたまた経済専門紙の成長をみると、それだけで一般読者には十分かも知れないが、特定の業界に関する記事を常時掲載しているわけではない。他方、専門業界紙はターゲットである業界や関連業務について、一般紙では報道しない専門的かつ詳細な情報を提供する。それは業界全体から個別企業、監督官庁の動向、新製品、新政策の紹介といった紙面つくりを特徴とする専門紙の概念を形成してきた。

 従って、日本、世界の産業発展と構造の変化に伴って、専門業界紙の成長、拡大が見られたのは至極当然のことと言える。経済の好況、不況により読者市場に振幅があっても致し方ないという構図であった。

 が、それでは今後も同じである。これまで、いわば業界専門情報紙的な性格が専門紙の主流(情報パッケージ型)であったかもしれないが、そうした情報はインターネットに代表されるようなニューメディアの進出により、読者が求めるニュースとしては少なくともいま以上紙面に強く要求されることもなくなってしまうだろう。

既成概念打ち砕け 

 この点で言うと、新しい情報を知る上で「文字を読む行為」はなくならない。とくに紙のメディアの一覧性、記録性は電子メディアに数段優る。

 そのような情報化社会の進展を考慮に入れるにしても、誤解を恐れず言わせていただければ、詳報性、解説性さらには評論性にもっと重きを置いて編集する紙面作りに力を注ぐことが、将来の専門紙に安定した読者と信頼性を獲得する基盤つくりになるのではないだろうか。         

 それは単純な事実報道、杓子定規的な、紋切り型解説、あるいはパターン化されたアングルからの視点を越えて、「読者が知りたがっている報道」という従来の既成概念枠を打ち砕き、「知らせなければならない報道と何か」をいま一度ここで考えることが必要かもしれない。新聞本来の原点に立ち返ることを意味する。

 決して現在の一般紙、専門紙のどちらも安定した読者と信頼性がないと言っている訳ではない。またその獲得に努力していないと言っているのではない。本紙『物流ニッポン』などはまさに、今まで述べ諸々の事柄を具現化し、成功している専門紙のひとつと言えるのではないか。

フォーラム性見事 

 例えば、本紙は昨年七月「国際物流フォーラム97東京会議」、ことし六月には「トラッ君98〈TOKYO〉文化祭典」を開催運営している。物流フォーラムは世界大競争時代にはいった今日、あらゆる産業と生活に切り離すことのできない「モノの流れ」をもう一度見直し、今後の変化をグローバルな視点で論じる場となった。またトラッ君は三回目の開催で、トラックを中心に生活、家庭、経済を含めた広義の環境について、多彩なパネリストをあつめた。

 紙幅の関係上詳細できないのは残念であるが、こうした、いわばフォーラム性のある、毎日の紙面ではなかなか掲載できない側面を、時に伝えることも必要である。

 ただし、一般紙以上に、専門紙の紙面性格は読者が同時に広告主であるという特殊性を抜きにして考えられず、当然のことながら、しばしば広告主であるクライアントの不興を買うような記事をあえて掲載することは避ける傾向にあるのではないだろうか。

紙面批評と新発想

 

 短期においてそうした傾向は読者、広告主からみて歓迎されるかも知れないが、長期的には「癒着構造」を生み出し、結果は読者の信頼を失う方向、ひいては広告主からも健全な媒体としていかがなものか、の疑念を生じる。そういう意味合いで、長期にわたって専門紙が継続発行されているということは、読者、広告主の信頼関係が持続していることにほかならない。

 個別・専門的な情報源としては、マス・メディアと比較してサブ・メディア的存在である専門紙は、分野によっては一般紙よりもむしろ強力な報道・評論機能をもつこともある。業界の利益追求に奉仕するといった報道姿勢は否定しがたいが、読者との距離が近いというメリット、デメリットをきちんと把握し、倫理観をもてば、質の高い読者サービスが可能であると信じる。

 詳報性に富む報道とは、やはり報道の背景にある核心にいかにせまるか、何を優先して伝えるべきかを十分に吟味したものでなければならない。内容のある解説も、ただ分かりやすさだけではなく、報道そのものの意味合い、換言すれば一般紙と同様に社会的文脈のなかでの意味付けをすべき内容でなくてはならない。具体的には、官庁発表ものや新製品、・商品の紹介にしても、発表記事そのままでなく、新聞社、記者独自の見方があってよかろう。PRというものは決してマイナスイメージをださない。仮にそう思うような内容であっても、狙いは別にある。そこを鋭くつくような記者の目が必要とされる。それも読者の信頼を得るもとになる。

 エディトリアル、フォーラム機能の充実とは、そうした新聞社独自の価値判断の提示、投書欄や署名記事を通じての多様な意見の交換の場の提供であり、業界内、外を問わず幅広い意見を紹介する試みである。とくに、人事異動や(業界内の)人物紹介などは通常の紙面つくりにあるが、むしろ業界とはあまり縁のない人からの意見や批判をいただくことを積極的に試みてはどうだろうか。 

 ときに脱線や的はずれの意見(そうしないところが記者の腕だが)があるにしても、従来の常識と思われたことに注視する、新しい見方を提供してくれることが少なくないはずだ。それは業界でおきている事象そのものが社会的文脈のなかいかなる位置にあるのかといった、読者ばかりでなく、記者の考え方、発想に新しい光を与えてくれる。

 かつてスポーツ紙はスポーツ、レジャー、娯楽といった記事ばかりで紙面が埋まっていたが、いまでは政治や経済も報じるようになり、宅配用紙面作りを考案して、女性読者・宅配先の増加に成功している。時代のニーズと言えばそれまでだが、ある種それを作り出す、あるいは先読みする発想がいま必要とされている。

「役に立つ」が前提 

 企業三十年説によると、第一段階が「あやしげな時代」、続く「面白い時代」。第三段階が「役に立つ時代」、そして第四の「成熟(立派といわれる)時代」。そして三十年で衰退するとも言われる。これから専門紙は「役に立つ時代」に入るところではないかと思う。「専門紙も日本経済同様に順調な成長をとげてきたことは確かである」(山本武利「専門新聞」『専門情報要覧』一九八九年)にしても、冒頭で述べたように、その日本経済そのものが大きな世界的なうねりの前に模索している。三十年説はともかく、専門紙がいま一層充実し、新たなる道を作り出すその先は、やはり日本経済の進む道と重なりあるのかも知れない。

 売れるための新聞づくりではなく、読者に喜ばれ、社会に役に立つ新聞づくりを目指すことが大事であろう。

          鈴木 雄雅(すずき・ゆうが 上智大学文学部教授=新聞学専攻)