卒業生紹介 

講談社ノンフィクション賞 中村智志『段ボールハウスで見る夢』(草思社

『上智通信』 19991月号掲載

 電話が鳴り、受話器の向こうから冷静な声が聞こえてきた。「受賞していただ……」 やっぱりダメだったか。と、瞬間的に思ったそうだ。「……きたかったのですが、残念でした」という後に続くフレーズが頭に浮かんだという。

 受賞は「うれしさ半分戸惑い半分」というのが最初の正直な感想だった。分不相応な賞をいただいた、と実に謙虚である。受賞したのは、初めての著作『段ボールハウスで見る夢』(草思社)。一九九三年十二月から足かけ五年かけて、新宿西口の地下歩道で出会ったホームレスの人たちの物語である。告発ルポや社会派ルポというより、「ひとりひとりの暮らしや人生、個性などを描く」ことに重点を置いた。

 きっかけは、当時所属していた『週刊朝日』の取材だった。週刊誌の取材の常で一度きりで終わるつもりだった。それがわずか一カ月の間に取材で親しくなった四人の運命が、続けてホームレスの人々を追う動機」付けとなった。変化のスピードに驚き、立ちすくむのを感じ取った彼は、新宿駅西口地下道の「その後」を週刊朝日に書いた。

 自分の中でクローズアップされてきたホームレスの人々と対峙しながら、「それは不況による増加よりも、現代社会における家族・知人との絆の崩壊」がより深刻に内在する起因ではないかという思いが沸いてきた。ホームレスの増加は、実は「戦後日本が築いた繁栄の裏返しであり、さらにその奥には人間存在の根源を問う何かがある」――そんな予感を持っている。

 驚くほどあけすけに自己を語ってくれる彼らに魅力を感じた。段ボールハウスでの暮らし、生まれ故郷や家族、新宿まで流れてきた人生。饒舌になるのは名瀬なのか。自分の話を聞いてもらう機会が少なかったからだろうか。そうした会話から浮上してきたのは、「一方的に憐れむべき社会的弱者でもなければ、気ままな世捨て人でも路上を不法占拠する不潔で怖いアル中でもない、もっと人間味豊かな貌」だった。

 本書のもうひとつの魅力に、大都会新宿という舞台装置がある。「あらゆる人と物を猥雑に呑み込んでゆく街だから」こそ、数多くの段ボールハウスに何かがあった。かつて、そこは六〇年代反体制、反戦フォークのシンボル的な場所であった。フーテンを生み、シナーに酔う若者がいて、幼い頃、彼がたまらなく嫌だった浮浪者を「路上生活者」そして「ホームレス」としてしまう社会がある。オヤジ狩りを生み出す社会、毎朝段ボールハウスの中に絶え間なく響く靴音を「軍靴の行進」と表現したホームレスの人たちがそこにいた。 昨年二月の火事で段ボールハウス村は消え、「お集まりの都民の方に申し上げます。東京都は……」の撤去を正当化する放送が流れた。しかし、ホームレスの人たちがいなくなったわけではない。その多くは、街のあちこちに散って生きている。

 受賞なら、「おめでとうございます」と切り出されると信じていたから。「受賞していただけますか」という言い方をするものだと知ったのは、一息ついた後という。ゴールではなく、スタートラインに立った緊張感に包まれていた。

(なかむら・さとし 昭和62年文学部新聞学科卒業、同年朝日新聞入社、『朝日グラフ』『週刊朝日』などを経て、現在『ASAHIパソコン』編集部勤務。

 以 上