東アジアのマス・メディア:冷戦後の展開
           経済成長と「言論の自由」のはざまで
            
              鈴木雄雅(すずき・ゆうが)
               1999/7/15

はじめに
1 グローバル・メディア市場としてのアジア
   アナログ型からデジタル型経済発展へ
   世界の潮流のなかで
2 グローバル化とネットワ−ク化市場 
   アジア・グローバリズムの模索
3 アジア的「言論の自由」
   東アジアにみるメディア特性
   新たなるジレンマ
おわりに


はじめに
 1945年に第二次世界大戦が終わり、アジアの国々は日本、欧米の植民地から解放されたが、独立までに時間を要した年月には各国に差がある。1950-60年代は国内、地域の民族問題に始まり、米ソの冷戦といった国際関係の悪化は域内各国の社会発展に大きな影響を与えた。イギリスから独立したマレーシア(1957年)では、マレー系に対する優遇政策から華人が反発して暴動、衝突が起こり、シンガポールが誕生した。インドネシアでは多数派ではないにしても国家の基幹産業に多くの影響力をもつ華人の存在は、スハルト政権打倒(1998年)にみられたように、あらゆる機会に攻撃の的になるほど、既得権を持ち続けている。開発独裁がもたらした典型的なモデルである。

 換言すれば、国家の独立と建設にあたり、最大の不安定要素なったこれら人種、宗教間の対立は、しばしば軍部と結びついた強い政治権力と国家主導の経済政策により、その後も歯止めがかけられたままでもあった。その結果、比較的早く高成長(工業化)をとげた国においては民主化は後回しになることが少なくなかった。そのように、第二次大戦後アジアのマス・メディアの発達は国によりかなり異なってみられ、いわゆる「言論の自由」度で言えは、日本などを除けば一様に低いものであったと言えよう。

 それでも開発独裁を堅持しながら民主化のきっかけが冷戦崩壊直前に起こり大きく進展した韓国、台湾、依然として国家の権威を前面に押し出しているシンガポール、マレーシア、そうは言いながらも政治と経済を二刀流のごとく使い分けようとしている中国などに見られるように、モデルとして様々である。
 それらが新たなるメディア市場はアジアとして一元化され、グローバルな情報市場としてのアジアの台頭などと言われ始めたのは、1990年代前後からである(1)


1 グローバル・メディア市場としてのアジア


 アナログ型からデジタル型経済発展へ
 アジアの急速な情報環境化は、はたして経済市場として世界の目がアジアへ向けられたことだけを意味するのだろうか。
 確かに「アジアの奇蹟」と証されるくらい、1970年代頃から急速に工業化を遂げた中進国という意味でアジアの新興工業国・地域(NIEs)、80年代以降とりわけ「四匹の小竜」(香港、シンガポール、台湾、韓国)、続いての高成長はマレーシア、タイ、インドネシアなどのASEAN諸国、そして「改革・解放」政策を本格化させた中国が脚光を浴びた。こうした国内総生産(GDP)や国民総生産(GNP)に代表される数字は一国の成長度を物語るには格好の材料であり、一人当たりの所得が高くなれば、ある種の「富裕さ」の尺度からみて貧富の差が激しいといわれた社会階層のなかで、高所得層から中間所得層の拡大を意味し、社会的産物−−ここでは情報−−の消費者の増大を示す。世界のGDPのうち7%近く、さらに30億という人口で46%を占めるアジアは魅力的な経済市場として、北米、欧州に続く第三のリージョンとして浮かび上がってきたことと一致する。共通の特徴は、資本主義体制、社会主義体制のいずれにしても、市場経済体制を重視し、工業化をはかり、経済発展をみせつつあったことだ。

 中村正則の指摘によれば、GDP数値で一人当たり「2,000ドル」の水準が達成される頃に東欧の例のように、権威主義体制が崩れ、民主化機運が盛り上がっている(2)。アジアでみれば、1970年代の「漢江の奇跡」に始まる韓国の急成長は1984年にこの数値を超え、シンガポール(1970年代前半)や台湾(1970年代後半)、香港ははるかにそれを上回る早さで数値が弾き出されている。しかし、タイの首都バンコクに限ると1990年代までに数値を超えたものの、国内地方格差、地域格差がアジア諸国において歴然とあることもまた事実である。
 別の見方をすれば、アジア地域が今日の世界的な資本主義社会の発展のなかに組み込まれ始めたとも言えよう。いささかシニカルに聞こえるだろうが、先進資本主義諸国がいくつかの行き詰まりを打開する方策として見出だした、活発な企業の買収・合併による異種業の混合、それによる発展の形態がいずれアジア市場にも訪れるということは明白であった。E.ヴォーゲルが言うように、アメリカの援助、旧秩序の崩壊、政治的・経済的緊迫。勤勉で豊富な労働力、日本型モデルがこの地域の発展の要因として考えられようが、彼が「儒教文化」を近代化の促進要因にしているのも興味深い(3)

 第二次世界大戦後40年余り、マス・メディアが社会の発展・建設に寄与するものとして密接に国家と関わりあってきたアジア地域において、放送体制の確立と経済成長の進展により、一変して国家やひとつの社会を越えた放送・通信サービスが注目を浴びるようになった。それは一足先にリージョンーの北米で衛星がCATVとリンクさせることや現地印刷などに利用され成功を収め、続いてリージョンッにおけるヨーロッパ連合(EU)が帰結に向かいつつある今日、欧米資本が衛星(ハードの技術的側面ばかりでなく、ソフトの面でも相当優位にたっていたことがここでは重要)というコミュニケーション・ツールを武器として携え、新たなる市場=戦場を求め始めたのである。

 世界の潮流のなかで
 クリントン政権のアルバート・ゴア副大統領が提唱した「情報スーパーハイウェー構想(NII)」(1994年)は全地球的な規模の情報基盤を構築する構想(GII)」へ進展し、インターネットの進捗が世界地図を塗りかえらんばかりの勢いを示している。いち早くそれに乗ったのが情報産業でアジアのハブとなりたい、リー・カン・ユー、続くゴー・チョク・トンのシンガポール(IT2000、シンガポール・ワン)、それに刺激されたのが隣国、マハティール率いるマレーシア(VISION 2020,MSC:Multimedia Super Corridor)<表1参照>。
 いずれも経済成長の波にのった巨額投資を伴う国家主導の政策である。またインドネシアはスハルト独裁体制の下に1970年代半ばからパラパ衛星を使い、多民族・多言語・多諸島の国家統一を促進させた。強力なリーダーシップ、国家ビジョンとしての明確さをもつそうした国々が国家発展のためにいち早く名乗りをあげた。日本もルパート・マードックや米系メディアの進出に刺激され「黒船の再来」「第三の開国」と揶揄されながら、国内メディア市場の開放やアジア向け衛星放送の開始など、規制緩和政策の流れの中にいる。

 アジア各国は自前で衛星を打ち上げるだけの力がないところが多いこともあるが、自国籍であろうと他国籍であろうと、衛星を利用した情報産業の成長に力を入れている。韓国やタイ、フィリピンも政府主導型のプロジェクトを進めている。いずれも21世紀へ向けての政策であるとみられる。
 アジアにおける“メディア・ウォー”の引き金を引いたのは香港最大の財閥、李嘉誠。1990年からアジアサットを使って始めた国境を越える放送サービス、スターTVであるが、既にR.マードックのメディア・コングロマリットであるニューズ・コーポレーション所有の衛星放送であることは周知の事実である(1998年4月完全買収)。そして「国境を越える」国際衛星放送と各国内市場でのCATVの整備・発達は、香港から台湾、シンガポール、タイ、インドと着実に広がっている。これらのリンクは、ダイレクトにパラボラで受信しなくとも(国内規制によりできなくとも)、一般家庭で自国外の、世界のニュース、エンターテイメントの視聴や、通信機能も使えばマス・メディアからは得られない情報を、理論上は個人レベルでも容易に入手できるような環境を作り出しつつある。

 なかでも戒厳令廃止後の台湾、上海や北京に代表される中国、そして返還以前からの香港におけるCATVの普及は目を見張る。しかし、衛星放送による海外情報の直接流入を防ぐ目的でCATV政策を進めているような中国、国家の情報化推進政策の基幹ととらえる韓国のような発展形態例も少なくないのがアジア的特徴とも言える。
 衛星放送による「国境を越えるテレビ」サービスはアジアの場合、国営や過度に規制された少数チャンネルの視聴環境から、一挙に十数チャンネルの視聴を可能可能な媒体が国内、国外を問わず、「天からの恵みもの」としてアジア各国で生まれ始めた。スターTVの登場と成功は、欧米の資本主義市場としてアジア・太平洋地域が次のマーケットになることを証明したと言えよう。デジタル化はさらにそれに火をつけた。

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2 グローバル化とネットワ−ク化市場 


 1990年代前半タイム・ワーナー、ABC(ESPN)、T.ターナー系ら通称「ギャング・オブ・ファイブ」、さらにNBCアジア(NBC、現在はダウ・ジョーンズのABNと組みCNBCアジア)などの米系資本が一気に流れ込んだ<表2>。続いて、世界最初の中国語による衛星ニュース・テレビを始めた香港のCTNは台湾からアジア各地へと中国語オーディエンスを対象に拡大している。香港が拠点のTVBS、ギャラクシー・チャンネル、CETV、中国のCCTVなど、アジアをカバーする衛星にとって中国語は必須の言語である。近年の汎アジア衛星放送は英語が主流であっても、日本語、タイ語、ヒンディー・タミール語などの広がりを示している。日本のお茶の間でもCSをとおして見る外国チャンネルの数はここ数年で急増している(4)
 日本やインドネシアなどの地域に限定された衛星時代であった1980年代を最初とすれば1990年代に入り、主に衛星放送による「国境を越える放送」サービスは従来の汎アジア市場の活字媒体を越えてのグローバル化時代に突入し、アジア太平洋の国々に様々なインパクトを与え始めた。そして、早くも90年代半ば以降、大型衛星によるデジタル化時代にあると言ってよいだろう。今日までに、
 @国家政策による多チャンネル・多メディア化の進展−−とくに衛星放送事業、インターネット事業の推進が産業論、国家発展論に結び付くような傾向にある。
 A放送秩序をめぐる新旧メディアの対立、進展が進むなか規制緩和、市場解放、他方で規制強化政策を生んでいる。さらに世界的な放送・通信分野の融合−−とくに通信事  業の急成長による買収・合併の波をかぶり始めている。
 Bソフトの不足→既存の欧米資本の進出が顕在化した。
 C1997年のIMF通貨危機を別として、経済成長とメディア市場の拡大による広告産業の成長
が注目される。とくに国家の開発、経済発展にマス・メディアの成長が欠かせないものとする基盤があったアジアで、それは情報産業全体の発展がさらに経済発展に寄与するという流れに組みやすく、早晩市場開放へと進まざるを得ないことは自明の理と言えよう。

 アジア・グローバリズムの模索
 ここわずか半世紀ほどの間に従来のメディアの数百倍の速度で「第五の壁」(W.リンクス)、あるいは近代コミュニケーション革命の第五段階に位置付けられるテレビ・メディアが世界の人々に政治、経済、文化的影響を与える存在になったことは明らかである。北米、欧州二つのメディア市場の改革は衛星がビジネスになるということを証明した。それは国際放送によるソ連・東欧圏諸国の崩壊というインパクト、「西側情報の勝利」という構図が付け加えられ、1990年代以降、グローバリズム、グローバリゼーションが盛んに唱えられ始めたのもの然りである。

 放送と通信の領域が不鮮明になりつつあることは世界の趨勢であり、それがそのまま「ボーダレス」に還元されている。天安門事件(1989年)、湾岸戦争(1992年)やユーゴ紛争(1999年)などが国境を越えた情報の意味合いを如実に知らしめるものであった。1996年に設立された「自由アジア放送(RAF)」はいわばVOAのアジア版で、中国語をはじめとして7か国語で対象6か国・地域に国内ニュースを流している。中国、ベトナムは妨害電波を発し、「和平演変」(平和的手段による体制転覆)と警戒する。中国本土で5,000万人の聴取者がいるという(5)

 衛星放送のフットプリントは「四匹の小龍」とか「十匹の龍」とか呼ばれる著しい経済成長を示してきたアジア地域や、ブロックとしてAPEC(アジア太平洋経済協力:1983年)やASEAN(東南アジア国家連合:1967年)よりはるかに大ききなカバレッジなのである。
 例えば、汎アジアを市場とする国際紙誌は代表的な『タイム』が英語、中国語版を合わせ50万部以上、『ニューズウィーク』24万部(いずれもアジア版)や『ファー・イースタン・エコノミック・レビュー』など18紙誌を合計しても260万部(1998年)に過ぎないが、スターTVは英語、中国語、日本語など多言語放送で主要8か国6,000万世帯に送り届けられ、ローカル・メディア(地上波)がアジア域内をカバレッジするネットワーク化が進展している。アジアのCATV、衛星は2005年までに現在の4倍強の2億5,600万世帯の増加するという予測もあるが(6)、現実にはそれをしのぐ勢いかもしれない。
 それでも<表3>にみられるような汎アジア紙誌は1985-98年の間にかなりの進捗を示している。タイム・ワーナー・グループのように、CNNはじめ汎地域メディアの拡大が顕著なところもある。とくに一様に経済危機の打撃を受けて、広告費が落ち込み98/99年に後退した雑誌媒体に比べて、日刊4紙は平均は17%以上の収入増がみられ、今後の成長が予測されるだろう。
 これまで、アジアにおいて欧米のマス・メディア資本が全くなかったわけではない。新聞や雑誌の現地印刷や提携をはじめとしてマス・メディアに少なからず入り込んでいた。欧米系の活字媒体は着実にこの地域に浸透していることは見逃されがちである。それが《グローバルスタンダード》を人々に植え付けるかどうかは別として、その多くが現地のエリート層を読者の中心に据えていることも注意が必要である。『インターナショナル・ヘラルド・トリビューン』(本社パリ)は既に1980年の香港を皮切りに、シンガポール、東京、クアラルンプール(1997)、ジャカルタ(1998年)、バンコック、台北(1999年)と、海外19地域の現地印刷発行のうち7か国のアジア地域を含んでいる。

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3 アジア的「言論の自由」

 東アジアにみるメディア特性
 宣教師が伝道・布教のために文明の力=活字と印刷機をアジアに持ち込んで以来、3世紀の間の近代化過程でメディアは政府の「情報伝達媒体」であるばかりでなく、文明開化の利器として普及した歴史が再び浮上する。そこにおいては第一に英語メディアが主となり、また日本語が一時期アジアにおいて強制的言語と使用された事実があるにしても、中国語の存在は将来にわたり大きな意味合いをもつと思われる。
 メディアに対する18、19世紀的な「言論の自由」に対する干渉はその後、徐々に各国における近代化の過程、民主主義の台頭で排除されていくが、アジアにおいてはそうでなかった。第二次世界大戦の終結に伴いアジア各国が独立を達成すると、社会の開発・発展を成し遂げるためにマス・メディアは必要欠くべからざるものとして考えられるようになった。東アジア、南アジアにおけるおよそ20を数える国々、地域における民族、宗教、文化は言うまでもなく多様で、近代産業の発展、とくに交通や運輸、通信などの発展は欧米に比べて一様というわけにはいかなかった。

 コミュニケーションの発展は国家開発を促進し、プレスの自由をも含んだ政治的進歩、都市化を推し進めるという考え(開発コミュニケーション)のもと、マス・メディア政策やマス・メディアの普及促進に積極的に取り組み、アジア各国は国家建設のためのコミュニケーション政策を重視する路線をとった。個人所得の増加、都市化、工業化という経済成長は識字率を高め、新聞の普及、受信機器、オーディエンスの増加などによるメディア参加が増え、コミュニケーション状況の進展につながるというものである。そのような、いわば政治的側面(はじめにで述べたように、メディアを利用しての国家統制と情報管理)が今日にいたるアジアの発展の背景にあったことに注意しなければならない。

 その過程において、こうした世界的な潮流にアジア各国はどう対処してきたのだろうか。 
 アジアの放送開始は1953年の日本とフィリピンが最初で、続いてタイ、韓国、中国、そして60年代が最も多く台湾をはじめ8か国、一番遅いネパ−ルが1985年である。渡辺(1998)によれば、TV受信機の普及からアジアの国々は5つに分類され、日本、シンガポール、台湾、韓国は「成熟段階(飽和状態)」、続く「成長の段階」中の終期には中国、タイ、マレーシア、同中期にフィリピン、同初期にはインドネシア、インドなどがあげられており、「成長前の段階」は北朝鮮などである(7)

 成熟段階にある台湾は既にCATVの受け皿があったとはいえ、また本土中国との国際間の優位づけがあったにしても、1987年の戒厳令解除後、民主化、言論の自由化の道を歩んでいる。隈元が指摘するように党や政府系の意がかかった既存局の報道への不満、日本などの衛星が流入して独自の番組開発の意欲が高まったこと。また経済力の蓄積に、香港や外国資本が参入したこと。政府の規制緩和が進み、衛星へのアップリンクが認められたり、デジタル化、技術革新で、複数局が安価に相乗りすることが可能になったことなどがその発展要因であろう8)。1997年には26年ぶりに4局目の民間全民電視台、98年に公共電視台が開局し、いま世界一の世帯普及率を誇るCATVとともに活気がある状況だ。

 フィリピンでは1999年の放送法改正により、外国人や企業については従来認められていなかったケーブルTV運営会社の所有権を、40%まで認める法案が承認された(同法案では同一地域内での複数のケーブルTV事業者の営業を認めた)ように、外資導入策は今後の市場開発に有効な手段と思える。

 他方、消極あるいは拒否派ともいえるのが中国、韓国、マレーシア、シンガポールの国々であろうが、直接受信は規制しても、中国やシンガポールのように、CATVをとおして多メディア・多チャンネルに対応する、ある種見せかけの政策をとる国もある。とくに、後述するように、テレビショッピングや媒体としての広告収入増加は経済発展にとっては誘い水なのであり、デジタル化とインターネットの拡大により双方向性機能は高まりつつある。

 韓国は1980年代末に放送メディアを集中化させて、効果的な言論統制を行ってきた「言論基本法」が廃止されたのち、金泳三大統領時代に「多メディア・多チャンネル政策」を掲げ、順次広げており、金大中・現大統領は日本の大衆文化開放政策を進行させている。とはいうものの、日本は別にしても、こと外国文化の流入に対しては、放送法、総合有線放送法以外、公演法や映画振興法など数多くの規制法があり、国家の情報規制が強い国という印象は否めなかった。99年までに、全面改正、外国刊行物の輸入配布に関する法律中、登録の義務付けを廃止するなど、かなり規制緩和が進んでいるとはいえ、今度はCATVの赤字による廃局など、自由化経済のなかで苦しんでいる。

 新たなるジレンマ
 消極的な姿勢をとらざるを得ない理由はやはり冷戦終焉による転換、つまり、冷戦の影響を強くうけ反共政策を前面に押し出していた国々の内実ではないだろうか。
 アジアは文化、宗教、民族など多様な社会が混在する地域であるいわれる。政府規制さらには文化的背景の異質性からくる抵抗は国境を越える情報の流入に対して強く見られることも事実であり、欧米文化の浸食は「文化帝国主義」あるいは「メディア帝国主義」といわれたりする。
 しかしながら、そういわれても、アジアが比較的グローバル化の流れに乗りやすい背景のひとつに、テレビをはじめとしたマス・メディアがその発展から広告媒体として認知されてきたことがあげられよう。というのは、現代では、例えばTV広告の成長、放送産業の成長、国内経済の成長、経済のグローバル化のそれぞれが強い関連性をもつからである。現実に世界の「経済成長センター」としてアジア地域の広告費は順調にのび、1995年には地域対前年比10%を記した。とくに中国は日本、韓国に次ぐ広告市場として台頭、同54%増、また1983-97年でも年平均50%近い伸び率を毎年示している。

 新興広告市場としてインド、パキスタン、インドネシア、ベトナム、ミャンマーなどの域内各国は今後、魅力ある広告市場として期待されている。また媒体別広告費でフィリピン(58%、以下1997年数値)を筆頭に、タイ(53.9%)、台湾(53%)、インドネシア(52.6%)、香港(46.9%)諸国では、TV広告費が新聞・雑誌などの活字媒体に比べて圧倒的に高い事実は今後の動向を予測する指標となるであろう。そしてこのマーケットの魅力は中国語(Mandarin)を操る中国、香港、台湾そしてシンガポールであり、広告主、広告代理店にとって魅力のある市場としてとらえられている。その企業も現地出資というのは珍しく、日本や欧米の広告代理店であることが多く、広告、テレビCMのメッセージについて、ある種の「文化侵略」という声がなくもない。

 興味深いのは、今日成長を遂げている視聴覚メディア領域、とくにTV番組や映画番組といったソフト面での浸透である。1970年代初めまで日本を除けば、アジア地域のTV番組の輸入比を見ると、タイや台湾の2割は低い方で、マレーシアやニュージーランド、シンガポールは6〜8割と高かった。それでも、シンガポールのように事前の検閲が厳しい国もあるから、そうした国々が一概にその後国境を越えるテレビ放送、そしてTV番組や映画ソフトのような「国境を越える番組ソフト」におおらかであるとは限らない。
 つまり、従来から放送産業は「国家の独占と情報コントロール」の機関としてとらえらていたわけだから、そう簡単に手放すわけがなかった。その根拠は「冷戦構造」にあったのだから、皮肉にもその崩壊は新たなる方向に向かわざるを得なく、それが直接、間接に規制緩和へ動くのも選択肢のひとつであった。
 1991年以降グローバルなメディアとして汎アジア衛星市場で活発な動きを示しているは、マードック系のスターTVやZee TV(インド、1992〜)、フェニックス(北京語、1996〜)は先発の強みから、アジアの多言語・多文化性に目を向けている。そして1990年代半ば以降の汎アジア衛星市場の拡大、多メディア・多チャンネル化は域内各国からの発信であり、例外を除き、同様な施策でメッセージの増大、多様性をもたらしていることは確かだ。冷戦の崩壊が起因している国もあれば、それ以前からの民主化が進展した国もある。

 従って全体的には市場開放には向かっているものの、各国それぞれの思惑があり、外資規制や政治報道の禁止ばかりでなく、衛星放送受信禁止(パラボラやデコーダの取付禁止、輸入禁止、取付認可制)など、様々な情報コントロールが続いているのもまた事実である。結局は、国境を越えるグローバル・コミュニケーション・メディアとしての衛星放送は送り手と受け手との間のコミュニケーションを促進する一方で、従来のローカルからリージョナルへそしてグローバルへの流れのなかにおける対立があり、そこには旧来の活字メディアの国際報道と同じようなパーセプション・ギャップが存在することを明確にしただけに過ぎない段階とも言える。

 そのなかで、スポーツ競技や音楽の番組、エンターテイメントの番組やアメリカン・ドリームや勧善懲悪、ロマンか夢、もしくSFを映像化したハリウッド映画は世界中どこでも直ぐに受け入れられる。アジア向けならずともソフトの豊富さは市場で優位にたてることは明白であり、人気が高く送り出されるメッセージは比較的単純なもので、言い方を変えれば「分かりやすい」そして活字メディアと比べて映像や視覚に訴えるメッセージのほうが、何十行の記事よりも悲惨さを訴え、好まれるのである。
 しかし、よく見るとそれらの多くはエンターテイメントあるいはインフォテイメント(infortainmen,information + entertainment)であり、送り手のほうも考えたもので、「ノー・セックス、ノー・バイオレンス、ノー・ニュース」を合い言葉にしている。
 短波放送については歴史的な経緯もあって、国際電気通信連合(ITU)が周波数帯を決めてはいるが、内容には一切関知していない。これに対して、国境を越えるテレビ放送については世界的な共通ルールがまだ確立していない。インターネットも同じである。ヨーロッパでは「国境を越えるテレビ指令」(1989年)でかなり拘束力をもったルールがきめられ、各国がそれに沿った形で法制度を整備してきたが、「メジャースポーツイベントに関する措置」(1997年)にみられるように、衛星放送が普及していく中でスポーツイベントの放映権料の高騰、激化が生じている(9)。既にアジアにその波も押し寄せている(10)

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おわりに
 アジアにおける衛星放送市場を例に出さずとも、いわゆる「情報通信革命」は、従来の産業という枠組みを超え、国家という秩序さえも飛び越えようとしている。これまでの社会の基本秩序であった国家、地方自治体と産業の枠組みは、当然変わらざる得ない。冷戦の崩壊にメディアが貢献したというのはいささかに皮肉に聞こえる。
 それはそのままでは終わらなかった。
 情報革命が流通を変え、インターネットや電子マネーを使って巨大市場である一般家庭への需要拡大が期待されている−−こうしたことが、ごく一般的な認識として浮かび上がってきた。二十一世紀を目前にひかえ、二十世紀の工業化社会から、情報通信革命による「脱工業化社会」(ダニエル・ベル)が明らかに見えてきた。生産者(producer)と消費者(consumer)の融合である「プロシューマー」(prosumer)の出現が、あるいはネチズン(Netizen: internet citizen)と称される、インターネットを媒介する人々が次の時代をつくるともいわれる。
 1980年代までにアジアにおいて放送、通信は国家的独占が多かったが、多少この分野のことを知っている者ならば、欧州でさえフランスに代表されるように、イギリスなど一部の国を除けば、同時代まで明らかに少数チャンネル、国家運営が主流であった。にもかかわらず、世界的潮流といえる規制緩和のなかで欧州の発展は、主として成熟した民主主義国家のうえにメディアの発達があり、長い歴史の中で「言論の自由」が培われた土壌があったからである。
 西洋キリスト教社会のなかでも様々な矛盾と障害を抱えているように、「ラック・タイ」(タイ的原理=民族・宗教・国王)、ブミプトラ政策(マレーシア、マレー人を華人に対し経済的特権などを優先させる)は西欧社会からの民主化圧力の絶好の的にもなりかねない。そこに「西欧的言論の自由」と「アジア的言論の自由」があり、両者は融和できるのであろうか。そのような疑問もなくはないだろう。
 メディアの近代化において、いずれの国おいても一度は、為政者への批判や「現地人に警戒もしくは疑惑をもたせる可能性のあるような議論もしくは意図的な宗教的主張、観測等による干渉」を禁止し、それらに準ずるような内容を英語または外国語新聞から引用することも規制の対象とした。近代化の過程で新聞を政府の「情報伝達媒体」ばかりでなく、文明開化の利器として普及させた。いくら言っても服を着ようとしなかった裸族が衛星放送の受信により、自ずと服を着るようなり、レトルトカレーのTV広告が身近で繰り返されれば、自然と伝統的な(と思われていた)習慣や文化も変化する。
 グローバリゼーションが進もうと、国家や政府がなくなることは考えられず、多国籍企業はあっても無国籍企業もありえない。
 多国籍メディアがグローバリゼーションの流れに乗り、様々な文化を「現地化」してゆくことで、B.アンダーソンが称する出版資本主義(プリンティッド・キャピタリズム)(11) からた電子資本主義(エレクトロニック・キャピタリズム)にアジアの国々も直面しようとしており、民主化の流れは再び国家の枠組を強固にするかもしれず、そこにまたナショナリズムの問題が浮上するであろう。


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[注]
(1) 鈴木雄雅「アジア 太平洋地域におけるマス・メディア −衛星放送の進出は何をもたらすのか 」『東亜』no.331  
 (1995),、pp.86-100。. 
(2) 中村正則「国際的にみた経済発展と民主主義」『経済発展と民主主義』(岩波書店、1993年)、pp.167-232.
(3) E.ボーゲル、渡辺利夫(訳)『アジア四小竜』(中央公論社、1993年)、pp.120-146。
(4) スカイパーフェクトTV!では韓国語(KNTV=韓国の3局を通信衛星で受信し、1日最大23時間放送)、ポルトガル語(IPCブラジルチャンネル)、スペイン語(IPCラテンアメリカチャンネル、スペインチャンネル)、中国語(CCTV大富、楽楽チャイナ)などがあり、CNNの英語ニュース、BBCワールドの日本語放送とNHKのBS衛星(各国ニュース)とCS衛星の時代に入った。
(5) 「民主化は香港最大の輸出品」『ニューズウィーク日本版』1999年2月12日号、p.48。
(6) Media International, Sept.1995
(7) 渡辺光一「変貌するアジアのテレビ・メディア」『NHK放送文化調査研究所』43(1998)、pp.204-217。
(8) 隈元信一「衛星メディアとアジアの変容」青木保・梶原景昭(編)『情報化とアジア・イメージ』(東京大学出版会、情報社会の文化ッ、1999年)、pp.126-27。
(9) 村瀬真文ほか「変貌するメディアとスポーツビジネス(2) ヨーロッパ〜有料放送の独占に歯止め〜」『放送研究と調査』1999年2月号、pp.12-29.
(10) 海部一男「放送事業におけるマードックの世界戦略」『放送研究と調査』1996年10月号、pp.32-38。
(11) B.アンダーソン、関根政美(訳)「<遠隔地ナショナリズム>の出現」『世界』 586号(1993.9), pp.184-85。