授 業 評 価 集 計 結 果 1999年度

「ジャーナリズム史」 

 回答79名 新聞学科2年次生

Q1−17  非常にそう思う/まあまあそう思える/普通/そうとも言えない/絶対にそんなことはない/該当しない

■授業内容について

[コメント] 最初の講義時に行っている。

  2.授業の内容は理解し易く構成されていますか。

3.カリキュラム全体の中での授業科目の位置付けを理解できましたか。

4.授業で習った内容は今後役に立つと思いますか。

5.宿題や演習は採点後速やかに返却されますか。(宿題や演習がない時は6にマーク)

6.試験の内容は授業で習った内容を反映していますか。

 

[分析] Q2の「授業内容が理解しやすく構成されているか」の肯定評価は3割と低く、否定的も4割近いのは問題である。

7.授業内容に興味をそそる努力をするなど熱意をもって授業を行っていましたか。

8.授業内容について充分な知識を持っていると思いますか。

9.授業時の質問に明解に答えますか。(授業中質問をしなかった場合は6にマーク)

10.授業時間外に教員室等で授業内容の相談にのってくれますか。(相談に行かない場合は6にマーク)

11.学生が授業に出席することを奨励していますか。  12.決められた時間通り授業が行われますか。

13.無断休講は無く、休講の場合は補講を行っていましたか。

 

 [分析]Q7−13までのうち、9−10は授業に関するQ&Aについてだが、質問しない、相談にいかない数値が高い。またQ13は授業の休校だが、無断休講がないにもかかわらず(休講0)、「まあまそう思う」以下にもマークした学生の評価というのは非常に信憑性が欠けるものと判断されても仕方がないだろう。その数20名。

14.自分が期待していたものを得ることができましたか。 15.この科目についての基礎学力がついたと思いますか。

16.この分野に対する興味が増しましたか。       17.さらに深い知識を得たいと思うようになりましたか。

 

授業の全体評価と自己評価Q18−19 大変よい/よい/普通/あまりよくない/悪い

18.この授業の総合評価をしてください。

19.あなたはこの授業によく出席し、熱心に授業を受けた良い学生だと思いますか。

[分析]Q15−17はほぼ4割のラインで肯定的だが、Q14に限って言えば期待するものが得られた学生は3割と低い。全体評価と自己評価については4割までが肯定的なようだが、「よくない」「悪い」という学生が2割強いる。もっとも、Q19に「悪い」と答えた学生がQ18も「悪い」と答えているように、ややその関係が不鮮明なところが少なくない。

 ■自由意見記入欄 授業で良かったこと、問題だと思ったこと、内容的に足りないと思ったこと、授業得たものなど、何でも気がついたことを気楽に記入してください。


「話が長すぎる」「話が飛びすぎる」「何を言いたいのかわからない」など反省すべき指摘がだされた。 を使いすぎの指摘は過ちだろう。20回以上の間に数回しか使っていないのだから。 は「授業でやったことから考え出すというより、自分で勉強していないとできない。もっと充実した内容だったとよかった」(下線は教員)とのコメントには、何でも教えてもらうという受身の態勢がしみついて、勉強は誰がするの? と問いたい。    最初に断ったけど。 この学生は全てにわたって否定的に答えてくれたが、むろんQ19の出席が悪いほうにマークしている。ということはきちんと授業を受けたうえでのコメント、評価なのだろうか。 という質問文にキレタようで、単に出席しているだけの生徒は”よい学生”と評価されてしまう教育現場に失望を感じる」(下線は教員)という。さてさて困ったことで、普通に授業参加していれば、そのような考えなどないことは分かるだろうが、と思う。この学生もQ19は「(出席が)悪い」にマークしている。授業によくでていない学生の評価を、どう評価すべきであろうか。約20名

総合コメント: 初めての授業評価を行い、学生からシビアな評価をもらった点については、反省すべきところ、つまり自覚しているところもあれば、どう考えても思い当たらないこともある。同じ授業を受けていて、まったく逆の評価が出ているところが難しい。

 しかしながら、現実には80名近くの学生はかなり多様で、それぞれ求めているレベルも違うだろうし、必修ということで、必ずしも学生のニーズに答えきれないところもある。

 ただし、このところ気になる点について一言触れておこう。それは高校までに学習した授業や学業が

全ての教育であり、つまりそれが正しい教育の絶対的価値観を作り出しているようで、そうでないもの、そこから外れるものを切り捨てるような意見形成が確実に広がっていることだ。大学で学問をすることは、「問うことを学ぶ」のであって、知識の吸収はその過程で必要なことである。

  はじめから自分の枠を設定して、そこにはいらないもの、はいろうとするものを除外するような心理的作用、それも「おもしろい」「おもしろくない」の二極的価値観構造では、何を学ぶのかさえでてこないであろう。

以 上

1999/9/20