第24回 革命党体制 (3) 革命党支配の揺らぎ   7月4日(木) 1.開発と革命党体制の行き詰まり □ 開発の結果としての社会変動 ・急速な都市化、社会整備の遅れ ・中間層の増大、批判的知識層の増大  左派勢力(学生運動、労働運動)による体制批判 □ 1968年政治危機 ・学生運動の大弾圧(トラテロルコ事件) 2.体制修復の試み □ 限定的自由化と反対勢力の取り込み  支配層の危機意識(反対派弾圧のコスト上昇、得票率の低下) ・エチェベリア政権(1970~76年):  「民主的開放」:政治犯の釈放、反対派の登用 ・ロペス=ポルティーリョ政権(1976~82年)  「政治改革」:政党・選挙制度の手直しによる対抗勢力の取り込み  議席総数の拡大(下院小選挙区枠を300議席に拡大)  比例代表制の本格導入(野党に振り分けられる比例代表枠100議席)  新たな政党の認可(政党の資格要件の緩和)、ただし体制寄り政党も追加  [メキシコ共産党(PCM)、メキシコ民主党(PDM)、労働者社会党(PST)、労働者革命党(PRT)、メキシコ労働者党(PMT)]  →ヘゲモニー政党システムの再編 □ 民族主義の再活性化、経済への国家介入強化 ・エチェベリア政権:  公的セクター(国営企業)の拡大  資源ナショナリズムの称揚、国連で「新世界経済秩序」(NIEO)提唱、第三世界外交 ・ロペス=ポルティーリョ政権:  石油産業への依存  銀行国有化 3.体制解体へ □ 1982年経済危機  債務の利子返済不能に始まる長期的不況の時代:「失われた10年」 ・開発路線の大転換:デラマドリ政権(1982~88年)  緊縮政策(補助金削減)  経済自由化(民営化、規制緩和)  →民族主義路線の後退 ・野党の躍進と民主化運動:  PAN(国民行動党)の北部諸州での躍進(1983~86年) ・社会運動の台頭  メキシコ大地震(1985年)をきっかけとする住民自助運動 □ 1988年政治危機 ・PRI左派・改革派(指導者クアウテモック・カルデナス)の離党  1988年大統領選でPRIに挑戦 →民主化の開始