10-1 地域福祉の担い手としての当事者(岡知史)
Kewords - 当事者主権、当事者組織、当事者の組織化

日本地域福祉学会『地域福祉事典』(2006) pp. 268-269.

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【援助の客体から主体へ】
 当事者は長い間、援助の対象にしかすぎなかった。したがって彼らは「対象者」と呼ばれていた。地域福祉の理論書として古典的な位置を占める岡村重夫の「地域福祉論」(1974年刊)でも「当事者」と言わず「対象者」という。岡村自身は「対象者」の参加を地域福祉の基本的原則としていたが、時代背景が、その用語に反映されていたのである。
 ただ用語が変わっても、当事者が地域福祉の主体として理解されるには時が必要だった。実際、地域福祉事典の初版(1997年刊)には「地域福祉の担い手」の章に「当事者」の項目はない。ようやく、この新版で「地域福祉の担い手」の筆頭項目として「当事者」があげられた。時代が変わったのである。
 しかし「当事者」という言葉にも問題がないわけではない。「当事者」とは文字どおり読めば「事に当たる者」である。「当たっている」あるいは「直面している」だけであって、それ以上の意味はない。たとえば障害者への差別が問題になったときには、その「当事者」は差別をした側、された側の双方を意味するはずである。
 その点、中西正司らが出した「当事者主権」ならびにそれを所有する者としての「主権者」という言葉は「当事者」という概念の曖昧さを排している。ここでいう「主権」とは「自分の身体と精神に対する誰からも侵されない自己統治権、すなわち自己決定権」1である。それは「私以外のだれも―国家も、家族も、専門家も―私がだれであるか、私のニーズが何であるかを代わって決めることを許さない」2という主張につながる。これは福祉サービスを利用する個人を念頭においたとき「当事者」よりはるかに明解で力強い概念であろう。
 以下、これを援用して、ある状況においてどのように地域福祉を発展させていけばよいかを決めるにあたり、もっとも強い権威が与えられた人のことを「当事者」と呼ぶことにする。社会福祉の公平性の原理から、この場合、その状況において最も社会的に不利な立場にあり、また最も社会的ニーズが高い人が「当事者」になるはずである。

【素朴な「当事者」主義の弊害】
 こうした意味での「当事者」が援助の「対象者」ではなく地域福祉の担い手として前面に出てくるべきだという考えは間違ってはいない。また福祉専門職は謙虚に「当事者」に耳を傾け、「当事者」から学ぼうという姿勢も望ましいものだろう。
 しかし、一方では「素朴な『当事者』主義の弊害」というべき現象も地域福祉の現場で散見されている。たとえば「当事者の声を聞こう」ということで地域福祉計画策定の場に当事者を招いて意見を聞いたとしても、その当事者が自分の個人的な意見を述べてしまうことがある。当事者であれば、その地域の当事者の声を代弁しているはずだという「素朴な『当事者主義』」がそこにある。
 あるいは当事者組織の代表であれば、その意見は、その地域の当事者の声を反映したものであろうという根拠のない前提があることもある。しかし、その当事者組織がほとんど機能していない場合、あるいは機能していても、その代表者が組織から遊離している状態の場合は、代表者といっても形式上のことにすぎない。
 身体障害者相談員など各種の委嘱型相談員や、ピア・カウンセラーの考え方にも「素朴な『当事者』主義」が現れる場合がある。つまり「当事者のことは当事者が最もよく理解できる」と言われるが、しかし当事者であるという条件だけで誰でも当事者の相談を受けられると考えるのは現実的ではない。

【「当事者」は個人か集団か】
 このような混乱の根本的な原因の1つとしては「当事者」というとき地域福祉においてはそれを集団あるいは組織として理解しなければいけないのに、それを個人として考えてしまうということがあるようだ。
 つまり「当事者のことは当事者が一番よく知っている」「当事者のことは当事者が決めるべきだ」という主張は「のことはが一番よく知っている」「のことはが決めるべきだ」という個人単位の主張なら、社会福祉の主体性の原則に一致するものとして大きな問題はない。しかし、この主張が「私たちのことは私たちが一番よく知っている」「私たちのことは私たちが決めるべきだ」という集団あるいは組織単位の主張であるならば、「私たち」というその集団あるいは組織の質を問わなければいけない。そして現実には「私たちのことはが一番よく知っている」という独善的なあるいは突出した(少数の)当事者にも対処することが必要になるだろう。
 つまり地域福祉においては地域と個人は常に組織を媒介としてつながっている。個人が直接に地域に結びついているのではない。会議に当事者が参加するときも、その当事者は個人として発言するのではなく、当事者組織を通して発言するのである。そうでなければ個人としての当事者は、その会議への「当事者参加」の象徴的存在に堕してしまう。
 ピア・カウンセラーも個人として「当事者」だから「当事者」のことがよく理解できるという論理では、少なくとも地域福祉では通用しない。ピア・カウンセラーが当事者組織に属し、当事者組織で培われた価値観や思考を伝えるという状況が重要である。その状況において、ピア・カウンセラーは来談者と当事者組織あるいは当事者組織が培った文化との接点となり、その働きが地域福祉の実践となるのである。

【組織化の重要性】
 すでに述べたように当事者が第一の地域福祉の担い手として現れることは時代の趨勢であり、地域福祉の発展のためには必須の事項である。しかし、その場合の当事者は個人ではなく、組織化された当事者あるいは当事者組織であるという点を銘記すべきである。
 したがって地域福祉に携わるソーシャルワーカーが「当事者」と連携をはかるというときは当事者個人ではなく、当事者組織と向かいあっているのである。当事者組織がない場合は、ワーカーがその組織化を支援することが求められる。また当事者組織があっても機能していない場合は、ワーカーがそこに介入する必要があるかもしれない。当事者組織の代表者が代表者として振舞えるように援助することも場合によってはワーカーの業務となるだろう。
 ただし、地域福祉の担い手としての当事者はワーカーにとっては援助を必要としているクライエントではなく、共に働くパートナーとして現れる。したがって、そこには緊張感がただよい、信頼しあいながらも相互批判を許しあうパートナーシップが求められていることをワーカーは忘れてはならないのである。



1) 中西正司・上野千鶴子『当事者主権』岩波新書、3ページ、2003年
2) 同書、4ページ