階型理論の補足説明白頭翁の覚え書き(論文ではありません) 前回の説明では、「悪循環の原理」を中心にしました。ある読者のかたから階型理論について、更に詳しい説明して欲しいという要望がありましたので、私に出来る範囲で説明しましょう。 プリンキピアは、分岐階型理論といいましたが、実際の叙述においては、階型を特定せぬ命題母式(マトリックス=自由変数を使う式)表現に依存しており、読者が、それを任意の階型に適用して理解する方式になっています。 集合論の逆理を避けるために、ラッセルとホワイトヘッドがとった方針は、自己自身を含むクラス(α∈α)のような式を無意味な物として排除することでした。(これは、集合論の逆理をさける必要不可欠の方策だというわけではなく、分出の公理を制限するという別の選択肢もあったわけですが、プリンキピアの「悪循環の原理」の哲学からの帰結と考えて良いでしょう)。プリンキピアでは、クラスは命題関数によって定義されますので、結局、命題関数のタイプ理論によって、自己述語が禁止されます。 タイプとは、命題関数の有意味性の範囲(range of significance)です。即ち、命題関数φが値を持ちうる引数(argument)の範囲です。簡単に言えば、 タイプ0---個体(タイプ0の関数) となるでしょう。現代の数学基礎論で出てくるタイプ理論では、関数や引数に添え字をつけてタイプを明らかにする習慣がありますが、プリンキピアではそのような表記がありませんので、叙述を分かりにくくしている面があります。 それでは、このようなtype(型)の区別に加えて、oder (階)の区別がなぜ必要とされるか。それを分かりやすく説明するために、ベリーのパラドックスと呼ばれたものを考察しましょう。(これは意味論的パラドックスの一例です) ベリーのパラドックスとは、 “the least integer not namable in fewer than nineteen syllables”(英語で19音節以下では名指すことの出来ない整数の中で最小のもの)のような確定記述が、ある整数を名指すことを許してしまうと、その整数は18音節で名指されてしまう、というパラドックスです。これは集合論のパラドックスとは性質の違うもので、この種の逆理を排するために oder (階)の区別が必要になります。 oder (階)は同一のtype 型に属する個体や命題関数について、さらに必要とされる区別です。階は命題母式を量化することによって、構成的に定義されます。 第1階の命題母式----個体のみを引数とする 以下同様に、第n階の命題関数をもとに、第n+1階の命題母式と命題関数が構成されます。 さて、べりーのパラドックスに戻ると、“the least integer not namable in fewer than nineteen syllables”の如き表現は、いかなる階に属する確定記述であるかを指定しなければ無意味となります。 名も「階」によって分類されます。 第0階の名---- 固有名、記述を含まない名 ベリーのパラドックスにおいて、英語の数の名前を固有名とすれば、“the least integer not namable in fewer than nineteen syllables”という確定記述は、111,777 という第0階の名を指示しますが、この確定記述そのものは、第0階の名ではないので、パラドックスを避けられると言う訳です。 ベリーのパラドックスのようなものは、現在の我々ならば、意味論的パラドックスとして処理すべき物ですが、タルスキーによって意味論が構想されたのは、プリンキピアよりもずっとあとの事でした。 |