上智大学文学部新聞学科1999年卒業論文

タバコの広告

〜広告の社会的役割を考える〜

 

窪田 英理

はじめに

 広告サービスは善なのだろうか、悪なのだろうか。

 広告は経済的に社会を潤す。実際日本でも、広告は大量生産を可能にし、戦後の消費文化を支えてきた。人々を豊かにするために、広告は役立ってきたのである。だがその一方でその商業性が突出した場合、消費者に不利益となるケースも生まれている。特に近年は平成不況のために媒体期間が広告主を獲得することが困難になっており、広告界全体で広告主のハードルが下がっているのが現状だ。以前では「広告主(クライアント)といえば製造業会社(メーカー)」という構図が基本であったが、それは少しずつ変化してきている。たとえば銀行、政府などは広告主とはなり得ないとして、広告界やタレントもオファーを敬遠していたフィールドであるが、周知の通り現在では金融商品の販売や政策PRに広告活動が利用されている。さらに広告主のハードルは下がり、これまでは禁止もしくは規制されていた、消費者金融、エステティック、酒・タバコ類の広告が大量に消費者へ届くようになった。社会的に流通することが好ましくない商品やサービスであっても、比較的規制緩和された状態で広告主が広告をうつことができる時代になったのである。

 現代の広告はそれが発生した頃のような単に商品を売るための手段ではなくなってきている。マス・メディアとノン・マス・メディアを連結することにより、販売促進という役割を超えて人々の生活スタイルや思考スタイルに何らかの影響を常に与えて続けているのではないかと私は考えている。広告が力を持ち、消費者の判断力以上に購買・消費を促しているのだとしたら、先に延べたような社会的に見て流通することに手放しで喜べない商品・サービスを広告する行為は、多大なジレンマを抱え込んでいることになるだろう。

現在は21世紀を迎える大きな時代の節目であり、広告も20世紀的思考と21世紀的思考の間で試行錯誤しなければならない時期でもある。それとはつまり企業利益の論理と公共利益の論理の間で、新しい回答を見つけなければいけないということなのだ。それを受けて本論では、広告活動を展開するうえで必ずしも企業の利益と社会の利益が一致しないとき、広告を送る側が持つべき姿勢、変えていくべき現状は何かを考察していきたい。

 本論ではエステティック、消費者金融、酒類などの消費と社会的利益が相反する商品・サービスのなかから、特にタバコとその広告を取り上げた。筆者自身がノンスモーカーであり喫煙の悪影響を懸念する気持ちが強いため、力を注ぐことができるトピックであること、タバコ広告は日本の広告創成期から存在しているうえ、近年タバコに関する法律が改正され喫煙問題がタイムリーであり、社会的関心問題として論ずるに値すること、などの理由から選んだ。

 第1章ではまず広告とは何か、何をもって広告とするのかなどの基本的な概念に当たり、第2章では簡略な広告史を、第3章ではタバコ産業全体について述べ、タバコという商品そのものを追求する。本論では、タバコは消費者の不利益を生む商品として捉えているから、タバコに関する害についてもここで言及する。第4章ではタバコ広告の現状とその規制について、また日本の規制を参照しながら、海外の事例を取り上げる。そして第5章でタバコ広告、ひいてはその他広告活動全体が、企業的価値観から社会的価値観へスライドしていくことができるのか、できるとしたらそのためにどのような提案ができるのかをまとめていきたいと思う。

 

目 次

は じ め に
第1章 広告とは
 広告の定義 広告媒体
第2章 広告の歴史
 広告概史 タバコとタバコ広告の歴史
第3章 タバコ産業の現在
 タバコ産業について タバコ問題の現在
第4章 タバコ広告の規制
 タバコの規制
 日本のタバコ広告への規制 海外のタバコ広告への規制  各国のパッケージへの規制
第5章 これからの広告の役割
 変化するべきタバコ広告   現状の広告規制への疑問  商業的役割から社会的役割へ
お わ り に
参考文献


おわりに

 企業の利益と生活者の利益が相反する広告は、タバコ広告に限ったことではない。消費者センターやJAROレポートに寄せられているものでは、エステティックの広告、無人契約機の広告などが目立った。これらは近年流行し始めた商品・サービスであり、テレビCMを主流に大々的な告知広告が展開されている。しかしこれらの商品・サービスはあまり生活者のことを考えた商品・サービスであるとは言えないだろう。利用しても本当に生活者が望む結果が得られるかどうか定かではなく、リスクを伴う。

 もちろん、生活者が広告に躍らされないで、商品・サービスを正しい基準をもって比較検討することはたいへん重要である。しかし広告は人々の欲求を喚起し、購買行動に結び付けるのがその目的であるから、ときに生活者が正当な判断をしきれない場合、不本意な購買行動に終始してしまう。企業の利益と生活者の利益のベクトルがずれているときこそ、広告は売りつける姿勢ではなく、選んでもらう姿勢でメッセージを送るべきなのだ。広告は、金銭で代価されるすべての商品・サービス関して、最終的に生活者が豊かで楽しい生活を送ることができることを促すものであると思う。その豊かな生活という最終形にたどり着かない商品を堂々と広告することは正しい広告のありかたではない。

 広告が11のメッセージであったならば、生活者との利益のずれは微々たるものだろう。店頭での販売促進、口コミなど、旧型の広告(公告)は広告される人が限られているし、広告される側からの問いかけも可能である。しかし現在の広告は、マス媒体を利用することで、メッセージを大量に送る、できるだけ多くの購買層をつかむ、という目的に変化してきた。その場合、目的外の人(タバコ広告の場合は未成年者)や、その商品・サービスを好まない人(同じく、タバコを止めようと考えている人、周囲の人にタバコをやめさせたい人など)にもメッセージが送られてしまう。それ以前の問題として、どうして世の中でタバコという商品の流通がまかり通っているのか、堂々と広告されているのか、これまで私は疑問を持っていた。

たとえば上智大学でも、
4月の時点では単純に考えて、約半数弱の学生は未成年である。一歩譲って、大学院生や浪人生の数を考慮しても、5分の2以上の学生は未成年であると言えよう。それなのに、学内には広告付きの自動販売機が設置されており、簡単にタバコを購入することができる。しかも上智大学という大学柄か、同級生の中でも特に外国タバコを吸うことはたいへんかっこいいというイメージがあったように思う。1年生のうちから「マルボロ」「フィリップモリス」を筆頭に、男子ならば9割方の学生が喫煙しており、かえって吸わない人のほうが「吸わないの」と驚かれるのが現状だ。

 これらを踏まえ本論では、広告に限らず法律や流通の面でもタバコの正しい規制が進むことを願い、タバコ広告だけでなくタバコそのものにも深く言及した。現在でも来年度の税制改革を見通し、一箱につき40円のタバコ税アップが審議されている。世の中全体がタバコ規制に向かうなか、中途半端なマナー広告の不自然さを、タバコ業界、広告業界は自認してもらいたい。本論は、全体に広告に対して批判的な内容の論文であった。だが、決して広告嫌いなのではなく、広告好きだからこそ、もっとこうあれば良いのにという気持ちが高まったゆえの構成であった。私たち生活者の利益と、広告主の利益がシンクロするような、すばらしい広告が今後世に出ることを期待している。

最後になったが、サバティカル中にもかかわらず、研究室に足を運んでいただいたり、FAX・電子メール等でも添削していただいたりと、熱心にご指導くださった鈴木雄雅教授に深く感謝したい。どうもありがとうございました。

参考文献

○書籍

内川芳美『日本広告発達史』電通、1970
小林太三郎監修『改訂版 新しい広告』電通、1992
豊田彰『広告の表現と法規(改訂新版)』電通、1996
長尾治助『広告の審査と基準』日経広告研究所、1995
山本武利編『現代広告学を学ぶ人のために』世界思想社、1998
宇賀田為吉『タバコの歴史』岩波書店、1973
五島雄一郎『目で見る喫煙のリスクと禁煙指導法』朝日ホームドクター社、1993
島尾忠男『日本と世界の喫煙対策』朝日ホームドクター社、1993
宮里勝政『タバコはなぜやめられないか』岩波書店、1993
渡辺文学『世界の喫煙対策を探る』ラジオ技術社、1990年

雑誌

『月刊 アドバタイジング』電通 19981月号〜199912月号
『宣伝会議』19951月〜199912月号
『ブレーン』19951月〜199912月号

○資料・辞典・白書・レファレンスガイドなど

『広告白書』日経広告研究所、1998
『広告関連論文レファレンス』日経広告研究所、1997
JAROレポート』JAROJapan Advertising Review Organization、日本広告審査機構)1997年、1998
『電通広告年鑑』電通、 1979年〜1999
厚生省「たばこ行動計画」1995
厚生省「公共の場所における分煙のあり方検討会報吉書」1996
人事院「公務職場における喫煙対策に関する指針」1997
東京郡「都における分煙化推進のあり方」1997
労働省「職場における喫煙対策のためのガイドライン」1996