※生き延びるための創意工夫(オータナティブな発展の可能性)、特にコミュニティーを 基盤としたいろいろな試み
(参考文献)ホルヘ・アンソレーナ、伊従直子 (1992), 『スラムの環境・開発・生活誌』明石書店
- コミュニティーの住民と共に暮らし、コミュニティーの価値を認め敬意を表する。 そして住民の生活を理解し、寛容でシンプルな生活をする。
- 情報収集。コミュニティーの組織化にまつわる問題を系統的に探る。その地域の 問題を探る。
- 取り上げる問題を選ぶときは、次の点を考慮する。多くの人に影響を与えることが 出来、かつ多くの人がその問題に関心が持てるようなもの、解決可能な問題である こと、ドラマティックで将来別の問題にもつなげられる問題であること。
- 人々にやる気を起こさせる。
- ミーティングを開催する。これによって人々に集団や自分自身の力を認識してもら い、自分が独りぽっちでないことを分かってもらう。
- 事前のリハーサルを行う。
- 行動する。何世紀にもわたる抑圧で埋もれてしまっている人々の自信と誇りを掘り 起こす。
- 行動を評価する。
- コミュニティーとの集会では、コミュニティー意識を高めるために、奉仕、 リーダーシップと権威、自由と民主性といった問題を取り上げる。
- 住民がさまざまな活動を積み重なることによって、組織は強化されていく。
<フィリピン>
PECCO:1970→COPE(Community Organization of the Philippine Enterprise)1977
<香港>
SOCO(Society of Community Organizations)1971
<インド>
CISRS→1985年までに約70人のコミュニティーオーガナイザーを養成してインド各地の
大きなスラムに入りこむ。
<タイ>
POP(People's Organization for Particitation)1986
<フィリピン>
ZOTO(Zone One Tondo Organization)30万人、SAMASAMA(一緒にという意味)、DAMPA
※スラムコ・ミュニティーの連合体。団結して強制立退きに抵抗(注意:土地所有が日本
ほどはっきりしていない。フィリピンの国内法では、1992年以前から住んでいれば居住権
があると明記。最近は、投機的立退き(空き地のまま)も多い。)
<インド>
PROUD(People's Responsible Organization of United Dharavi)1979
※アジア最大のスラムであるボンベイのダラビの組織化(約100万人、現在は80万人程度)。
POWER(People's Organization Wadala for Equality and Rights)1986
※ボンベイのワダラ地区(約40万人程度のスラム地区)の組織化。
→PROUD, POWERでは、組織化及び連帯行動の結果、1993年以降、スラム住民の強制排除は
行われていない。
→さらに、1992年以降、Slum Rehabilitation Programを州政府とPROUD等が協力して実行。
これは、州政府がダラビ内を部分的に高層アパートに再開発し、上層階を富裕層に高く売り、
その利ざやを利用して現住スラム住民を『ただで』入居させるもの。
→現在のボンベイでの強制排除の危機に面している人々は、線路脇のスラムに住んでいる人々
(約15万人)、路上生活者(約20万人)、国立自然動物公園内(約40万人)に住んでいる人々。
(ちなみにボンベイ総人口一千万人中のスラム地区住民は約600万人)
※現在、運動やり方、方向性が変化してきている。
→対行政などの闘争に終始するのはなく、行政や国連等とある部分協力関係
(パートナーシップ)にありながら、また自立的な地平を
拓いて行く運動(共同体を基盤とした貯蓄・信用グループ
が大きな力となっている)へ。
※ACPOからLOCOA(Leaders and Organizers of Community Organization in Asia)、
及びACHR(Asian Coalition for Housing Rights)
※日本は、アジアのこれらの運動の流れからほとんど隔離されており、貧困者の
コミュニティーを基盤とした運動に関しては後進国(一部例外は部落地域での街
づくり)。←「70年代以降の日本の学生運動、労働運動のセクト化の流れの中で、
このような新しい運動は拒絶された」と当時の人々は言っている。2000年あたり
からようやく日本の野宿者運動とこれらのアジアの居住運動が交流を始めたところ
である。
→次回レジメ参照。
※以下の項目は要点のみであるが、詳しくはこちらにエッセイ(覚書程度)があるので読んでみてください。