徒然物草付録


「ホリえもん騒動」について(2005-05-07)

和解と称して醜悪な写真が新聞の一面を騒がせてから半月程になろうか。 今まで散々金によって「合法な経済行為」をしてきた連中が、 金による「合法な経済行為」で脅かされかけると、 「放送の公共性が」とか「金に任せて何をしてもいいのか」とか言い出して、 挙げ句の果てに結局は金でもって手を打つという、もう何をか言わんや。

時間外取引とか新株予約権とか個々の手段の合法性を論ずるのは、 それはそれとして法解釈的な興味はあっても、そゆことを幾ら論じても、 今回の一連の出来事の社会的意味は判らんと思うんですよ。 今回の「騒動」では今まで顕在化していなかった問題が、 法制上も体質上も色々露呈された。それは何故か。

従来「金を持つ者」と「既得権者」「ルールを作る者」とは一致していたので、 既得権者が金の力でルールに沿って行動しても、表面上は問題にならなかった。 いや本当は問題は沢山あるんだが、 それで割を喰っている人は問題にするだけの金も力も手段もなかった訳です。 近年はインターネットがそういう手段になりつつあるけれど。 で、今回の「騒動」では「金を持つ者」と「既得権者」とが分離された、と。 既存のルールは金を持つ者に作ってあったので、急にあたふたし始めたということ。

力のある者が自分達に有利なようにルールを作ってしまった法治主義というのは、 非常に性質(たち)の悪い所があって、合法だということが隠れ蓑になってしまう、 つうか隠れ蓑になるようなルールを作ってしまう訳だ。 今回の時間外取引だって、一部の特権者のみに認められた手段で、 つうか自分達の都合の良いように作ってあったものですね。 只、まぁそこは一応あれなので、「自分達だけ」と明からさまには書かずに、 でもうまいこと条件を仕込んでおいてあった筈だった。 ところが、その条件を掻い潜って「金を持つよそ者」が入ってきて、 自分達用に作ってあった筈の手段を使われた。 そうなってから 「いや、これだとルールのバランスが悪くて、 金があれば何でも出来てしまうから云々」 とか言われてもねぇ。 自分が逆の立場になった時のことを考えてルールを設定しないと、 バランスが取れませんわな。つうか色んな人が対等に発言出来れば、 自然にバランスの取れた所に落ち着くだろうからそれに任せれば良い、 ってのが本来の自由主義の基本思想な筈。法律市場原理とでも言うか。 色々と法改正とか考えているようだが、 これを機会にバランスの取れたルールになれば瓢箪から駒ですかね。

歴史学的に見ると、 「金を持つ者」と「既得権者」との分離ってのは、 近代の始まりの出来事だと思うんだがな。 遅ればせながら日本もそういう時代まで辿り着いたということですか。