徒然物草付録


文教・科学技術関連の事業仕分けに考える(2009-12-11)

行政刷新会議による 所謂「事業仕分け」で、 国立大学法人交付金・スーパーコンピュータ事業・科学研究費などの補助金事業など、 多くの文教・科学技術関連の事業が見直し対象になり、 ノーベル賞受賞者が反対声明を出すなどもあって、 ネット上でも様々な人が論じている。 特に、直接影響を受ける若手研究者による論考も (一般にネット活性が高いこともあり)多く見られる。 それは切実で貴重な意見であり、 「これでは困る」と大いに声を上げることが必要だし、 どうしたらその声が反映されるか考えなければならないが、 ここでは(もう若手と言うより中堅に近付いてきちゃってることもあるし) 一歩下がって冷静に論じてみたい。 まだ言葉足らずな所もあるが、色々な論考が出ているので、こちらも出しておこう。

仕分け対象側に求められていること〜こっちの論理とあっちの論理〜

事業仕分けについての中継・報道などで強く感じることは、 予算の必要性・妥当性を論じる際の官僚の言葉の力の無さである。 説得力のある発言がついぞ聞けなかった印象が強い。 情けない。問題点に答えていない。ゼミだったら「来週おいで」ですね。 学生のうちはまだ甘いから来週に再ゼミで済むけど、 社会に出ると厳しくて、ばっさり不可になる、ということだろうか。

で、一方、研究者の発言だが。 日本は科学技術で国を立てなければならない、それには研究と研究者の支援、 とりわけ若手研究者の育成は必要不可欠で、その予算を削るとはけしからん。 それは正論で全くその通りだと思う。そこを否定する人はいないでしょう。 そしてそれは相当高い優先順位であるべきだ。少なくとも我々の論理では。 但し、ここから先は、我々の正論と他の正論との比較だったり、 我々の正論が向こうの論理でも正論であるかという争いだったりする訳だ。 そこが問われている問題点なんじゃないのか。 だから、それに答えなきゃいけない。 高名な学者が幾ら上のような発言をしても、 その点に答えていなければ意味を持たない。 敢えて言えば「研究は大切である」で思考停止している見解でしかない。 「錦の御旗の下に行なわれている事業に無駄があるようだから見直しましょう」 というのが正に事業仕分けでしようとしていることであって、 それに対して「我々は錦の御旗を掲げておる」と言ったって駄目なのは明らかである。

日本数学会も他の学会と歩調を合わせて声明に加わってしまったけど、 実につまらん声明に乗ってしまったものだ。 多額の研究機材資金が必要な他学会と違って、 予算的には日本数学会はそんなにお金は要らないので、 (ぶっちゃけて言えば我が学会には利権はないので、) 独自の視点での見解を出せたと思うんですがね。 例えば、 予算一律1割減の代わりに年度跨ぎの繰越OK、とかだったら簡単に飲めるでしょ。 そういう予算を効率的に無駄なく執行するための方策を どしどし提案すれば良かったんじゃないか。

必要なことは、 我々の命題が我々の論理体系では証明可能である(というか公理である)、 と主張することではなくて、 我々の命題があなたがたの論理体系でもこのように証明できますよ、 と見せることなのだろう。 我々の命題が意味論的に真だったら(そして我々はそう信じている訳で)、 無矛盾な公理系に対して、必要なら推論規則を少し強くすれば、 公理系が無矛盾のままで証明可能に出来るよね。 説得力を強くするには、出来るだけ弱い公理系で証明して見せるのが良い。 相手の論理体系内で証明が出来ればそれが一番よろしい。そこが議論技術の見せ所だ。 我々の論理体系でなくて相手の論理体系に乗って議論するのが大切な点だ。

不幸にもこういう議論に巻き込まれた経験がある。 本学理工学部の再編の際、数学は専門分野としては不要であるかのような再編案が、 当初は提案されていた。 数学分野(当時数学科)では、それに対し、 従来の研究教育成果・社会や大学への貢献・今後の活動案提示 などを趣旨とする文書を提出して、 これを機会にやや捲き返して、 情報理工学科内のキーテーマの一つとしての数学・数理情報分野 (つまり数学の研究教育も本学科のミッションの一つ)、 という現状の在り方まで何とか持ってきた、という経緯がある。 ここで大切だったのは、我々の論理では正論であり明らかである 「数学は大切である」ということをそのまま言うだけでは意味がなく、 相手方の論理に乗って 「その論理でも事程左様に数学分野は大切である」と示すことであり、 また数学分野に要求されていることに応えることであった。 ただ、それでも現状がやっとであった。何が足りなかったか。 これはそれまでの活動成果の発信(自分達の活動に対して理解・支持を得ること)が 長年に亙り欠けてきたツケであろう。 この一連の経験を踏まえて、 今後は自分達の活動をしっかりアピールするのが不可欠、 と強く考えるのである。

仕分けの議論を奇貨として〜予算の無駄を省いて現場に回るように〜

ところで、良く見てみると、 仕分けの議論で言われていることも全て対立するばかりではない。 「文教・科学技術は日本には要らないよ」と言われてる訳ではなくて、 「文教・科学技術の予算に無駄が多いよ」と言われてる訳で、 研究教育現場の我々も正にそれは感じていて、 もっと有効に使えるように求めていた筈だ。 予算の無駄を省いて、真に研究教育の現場に必要な予算が回るようにする、 というのは我々にとっても利益になる筈である。

特に、この仕分けで 「役員組織や事務手続きの簡素化を図って、研究教育現場に回らない経費を削減せよ」 ということが言われているんだ、ということは、 文部科学省の官僚や何とか振興機構みたいな所の役員は決して言わないだろうから、 ここで指摘しておこう。 例えば、下でも述べる国立大学法人運営交付金については、 既に毎年削減され続けている訳だが、 それについて文部科学省は(反発はしただろうけれども)、 自分の省のウェブサイトで慌てて意見募集までして、こんなに反発しましたか。 何故こんなに反発しているかというと、 今回の削減対象が研究教育経費じゃなくて、 研究教育現場に届くまでの(自分達の)経費だからなんじゃないんだろうか。

国立大学法人運営交付金の見直し

国立大学法人運営交付金の見直しでは 「文部科学省からの天下り廃止」など、 教育研究現場で問題視していたことの改善も提唱されている。 文科省からの天下りで役員や学長が来ることに、 現場の教員はこぞって反対してましたよね。 この機会に、行政と教育研究現場とで連携して天下りを一掃したらどうですか。 わざわざ『どんなに「大学側からの強い要請」があるとしても、 天下り、現役出向は完全廃止し、その分だけのコスト削減(=交付金削減)を行う。』 と書いてある。 「大学側からの強い要請がある」という官僚からの言い訳を予め防いでいて、 しかも「その分だけのコスト削減」と言っている。 このメッセージに現場が応えなくてどうするんですか。

また『研究教育以外の分野における民間的手法を投入した削減の努力』 とも書いてある。 研究教育分野を民間的手法で効率化するのは適切でないが、 それ以外の組織運営の部分は効率化できるよね、という判断であろう。 事務手続きの簡素化などは現場にとっても有難いことだ。 この際、尻馬に乗って、どんどん改善提案を出したらどうか。

競争的研究費の乱立の整理

また、様々な競争的研究費についても、乱立を整理せよ、と。 分野によっては文部科学省だけでなく他の省庁の補助金もあって、 いろいろ応募する手間で現場は面倒だろう。 じゃあ審査は独立かというと、重複申請については煩い。 採択が集中するのが良くないなら、一本化すれば良いではないですか。 数学分野は殆ど科研費だけだけれど、 科研費一つにしたって、文部科学省と日本学術振興会と2つの団体が絡んでいる:

何の意味があるのか。 申請する側には何の関係もない話なのに、どの種目に応募するかで申請先が違う。 事務組織を温存する為にやってるんじゃないんですか (でも、実際には現場のマンパワーは足りてないんだろうから、 なまじ組織が分かれているだけ、役員に人が取られているんじゃないか)、 日本学術振興会は役員に収まりたい人のためのものじゃないですよ、 と問われているんではないんですか。

若手研究者支援の見直し

冒頭でも触れたが、今回の「事業仕分け」で引っかかる点と言うと、 「若手研究者支援の見直し・削減」である。 「ポスドクの生活保護」というような刺激的な文言もあり、広く取り上げられた。 若手研究者支援は直接に現場の研究者に届く資金であって、 利権・中抜きというような指摘には当たらない筈である。 科学研究には何よりそれを志す人が大切なのに、そのような志のある人が、 例えば大学院進学の段階辺りで敬遠してしまうという心配が非常に大きい。 「ポスドクの生活保護」という言い方には、 専任の研究者になれないような人に何年も支援してだらだらと続けさせるのは如何か、 という感じがあるが、 実態はそうではなくて、専任の研究者になれる能力のある人が、 雇用を減らされて専任の研究者になれずに、 やむなくポスドク状態を続けているのである。 ポスドク支援を受ける状態で何年もぬくぬくと、というように聞こえるが、 そんな状態を目標に続けている人がいる訳がないではないか。 現状でポスドクの数はあるべき人数より多いので、 結果として減った方が良いのは確かだが、 単に支援の打切りで減らすのでは研究の活力が削がれるだけである。 実質的に研究の中核となる年代である。 「大学・研究所がちゃんと専任の研究者として雇用せよ」 という圧力なのであれば良い。 そういう言い方をはっきりしてもらいたかったし、 雇用側もこのメッセージをしっかり受け止めて対応してもらいたい。 ポスドク支援を削減する分で、 若手研究者の専任雇用を促す方策を取ってもらう方が良い。 雇用の問題については最後の章で。

その他

研修施設などについても運営の見直しが指摘されている。 今年の夏にお世話になった国立女性教育会館も対象になっているが、 それはそうだろうな。 お世話になっておいてなんだが、行った時から、 これは補助金じゃぶじゃぶな施設だな、と思った。 宿泊が1泊1000円ですよ(食費は別で館内の食堂で自分で払って食べる)。 利用する学生の負担を軽減するのは解るが、講師側もその金額のはどうかと。 講師側は参加団体の活動で行っている訳で、 その負担を軽減するなら、それは参加団体が活動経費として払えば良い話。 その方がすっきりしますね。

学校ICT活用推進事業なんてのもひどいもんで、 実際には学校に電子黒板を大量に買って埃を被って終わり。 廃止は当然でしょう。 「学校ICT活用」なんて(知らない人が聞けば)聞こえの良い言葉を付けて、 どうなったかと言うと電子黒板業者が売り捌いただけ。 電子黒板があると良い教育実践が出来るかどうか、なんてことは、 一切考えられてないでしょう。 この手の「物品を大量に買う」系の事業は、ほぼ怪しんで良いでしょうね。 予算が付くと使わなきゃいけない、 ところがいきなり現場でICT活用推進なんて言われても何に使って良いか分からない、 そこで業者がやってきて「電子黒板を各教室に買うと良いですよ」と囁く、 なんてのは実にありそうな話だ。 こういうのは、熱心に先取りして地道に試行している教員がいるのだから、 そういう人を支援したり意見を聴いたりする所から始めれば良いし、 それなら少しの予算で効果が上がる。 でもそれじゃ儲かる業界がないから、 今まではそのようには予算が付かなかったのだろう。 そういうのを今回で変えましょう、って話でしょう。

人件費比率で大学財政を計るな

ついでなので、というか、実はかなり上で述べたことと関係がありそうなこと。 企業の財務の健全さを計るのに人件費比率というのが使われるようだが、 これで形式的に大学を計ってはいけない、ということを。 経営の専門家ではないので話半分に聞いてもらいたいけれども、 本質はそう間違ってないと思う。 物事の本質を見抜くのは、まぁ専門の一部と言っても良いからね、我々の場合。 専門を通じて身に付けた能力、という方が正しいかな。

典型的な企業として、原材料を仕入れて加工して製品にして売る、と考えよう。 目的は市場に支持される(売れる)良質の製品を作ることでしょう。 それを継続的に行なう為には健全な経営が必要。 そこで限られた元手を何に注ぎ込むのが大切か。 まず良質の原材料を仕入れること、ここをケチっては駄目でしょう。 機材にも投資が必要だろう。 抽象的な話なので、加工に必要な資源として、 職人などの現場専門家の費用もここに含むべきだろう。 良いものに投資することが結果として効率を上げそうだ。 ここまでは迂闊に削ると製品の質を下げてしまう。 さて、作っただけでは駄目で、販路拡大・宣伝などの費用も必要だろう。 ここはかなり工夫次第かもしれない。安くて効果が上がれば、その分丸々利益になる。 ここは効果さえ上がれば(売上が増えれば)削っても製品の質は落ちないことに注意。 組織が大きくなると、その他に組織を運営する為の経費が大きくなる。 良く言われる所によると、分社化すると効率的になるらしいので、 この経費は組織の大きさの1乗以上のオーダーで増えるんでしょう、多分。 組織が回りさえすれば、この経費は削っても、 売上も減らなきゃ品質も落ちないことに注意。 そこで企業経営としてはこの本部経費の部分を抑えるのが重要。 会議コストなどを抑えることも含まれて、それは短期的にも出来るが、 人件費の占める割合が大きくて、 (軽々にクビには出来ないので)この人件費を抑えるには周到な計画性が必要。 従って、ここをしっかり制御出来ている企業は経営が健全だ、 そういう論理なんだろうと考える。 そう考えると、現場を切って人件費を抑制するのはおかしな話だ。 違ってるかな、これ。

さて、大学をはじめ学校ではどうか。 原材料を仕入れて加工して製品にして売る、と並列に考えよう。 製品は何か。教育では授業であり教育効果ですね。 目的は市場に支持される(志願者が集まる)良質な教育を提供することです。 研究活動で評価されることも大きな裏付け・信用になるが、それ自身は儲からない。 それを継続的に行なう為に、健全な経営と同時に研究活動による信用が大切になる、 と考えれば良いだろう。さてそこで限られた元手を何に注ぎ込むのが大切か。 原材料は我々教員である。良質の教員を是非仕入れて下さい。 我々は良質であらんとして日々精進しているのです。 機材は教室などの設備だが、 学校の場合は事務職員もここに含めるのが妥当ではないかな。 教員が良質の研究を行ない教育を提供するのに必要な資源だから。 我々は事務の方々の支援があって初めて充分な研究教育が行なえる。 ここまでを迂闊に切り詰めると製品の質が下がる。 広報・宣伝などの費用は同様に考えられるだろう。 そして組織を運営する為の経費も同様に来る訳で、 ここの考え方は(民間企業の手法で考えるとするなら)同じことになる。 長期的には運営人件費を抑えなさい、と。

国立大学法人運営交付金の見直しで「文部科学省からの天下り廃止」というのは、 正にこの部分ですよね。 国立に限らず、どこの大学の経営陣もちゃんと考えて、 人件費比率の適正化とか言って教職員を減らすのをやめてもらいたいものです。 製品の質に関わるので。 上でも述べたが、むしろ、 不安定な状態にある若手研究者をちゃんと専任で遇してもらいたい。