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宗教多元主義の諸相

その形而上学の検証を通して

 

義孝

 

多元主義的宗教の神学が様々な形態で現われている。それは一口に多元主義といっても実に多様だということを物語っている。筆者は特定の歴史的宗教、つまり実定宗教に属するものであるが、多元主義的世界にあって、諸宗教間の対話の必要性を痛感するものである。しかしこの自らの宗教的アイデンティテーを失うことなくかつ多元主義的対話に開かれることがどのように可能なのかを模索する時、そこに自ずからこれら諸形態を導く原理、形而上学に及ばざるを得ない。

この論考は筆者の身近に与えられた二つの宗教多元主義、つまりヒックとカブのそれをその背後に横たわる形而上学を批判的に検討することによって、真に時代の要請に耐えうる主張であるのかを検証しようとするものである。

 

1.宗教的寛容の歴史への一考察

カブは『対話を超えて』の第一章、「対話への道」、で西洋における宗教的寛容の歴史に短く触れながら、ロックなどの自然宗教的見方を除けば、キリスト教を他の宗教現象と並んで、それ自体の外部から見られることの出来る一現象として取り扱ったのは、カント、ヘーゲル、そしてシュライエルマッハーであったという。彼らのキリスト教を見る視座は、キリスト教によって、深甚の影響を受けていた。「にもかかわらず、宗教改革の背景のもとで見てみると、客観的な要地からして、キリスト教を評定しようとする三者に共通する努力は瞠目に値する。」と言っている。

勿論キリスト教を含む諸宗教を多元的に見て、それゆえに他宗教に対して客観的な寛容の精神を示したキリスト教思想家は近代以前にも存在したことはヒックも指摘するところである。

しかしカブが挙げた三人のほうは近代啓蒙主義に属し、今日の宗教多元主義のルーツとしては直接間接に関係する人々と見ることが可能であろう。この三人の内、我々宗教の神学の立場からして、最も大切なのはシュライエルマッハーである。そこで少し丁寧に彼の諸宗教の神学を見てみたい。ここに主に引用されるのは彼の最初の主著「宗教論」からの立論である。

シュライエルマッハーは「宗教論」の第五講で、宗教一般の中でのキリスト教の位置をまず論じている。ここにはキリスト教弁証論が含まれているのである。それによれば、如何なる宗教も全体としての宗教を保持することはない。私達は有限であり、有限な宗教に留まる。しかし個々の歴史的宗教としての個別化はそこに留まることはない。私達がある特定の宗教の内に留まるときでさえ、さらに特殊化し、個人的な形体をそれに与える。結果として、有限な形体の、つまり個別化の無限な遡及に至る、という。しかしこの個別化と言うことが何を意味するのかといえば、彼はそれは宗教の堕落に導くと言う。つまりそれぞれの自己絶対化と言う形体である。これが起こるとき無限なものが有限となり、宗教について残存する全てのものは内なる火から流れ出る死せる燃え滓と帰するという。ここでシュライエルマッハーはいわゆる実定的宗教の出自と位置を論じているのである。

しかし実定的宗教の内には積極的なものも存在する。それは個々の宗教は一つの全体的宗教の単に断片的な一部分に過ぎない、が結果として、有限なるもの、個的なものの内で無限なるものや全体的なものの感覚がこの個的宗教の内へと発展され、私達は部分的なものの内に全体的なものを持つのである。特定の宗教に留まることによって、宗教的世界では安全な居住権と市民権を持つことになることだ、という。

ではシュライエルマッハーは個別的、実定的宗教を完全に容認したのか。彼はここでユダヤ教に対する批判を提出する。ユダヤ教には宇宙的なものの限定的な顕現をしか認め得ない、これに対してキリスト教は宗教の理念そのものを体現するのだ、としてヘーゲル的な弁証をシュライエルマッハーは展開している。キリスト教には理念と実在の接点があると言う。その中心的テーマには宇宙的なものからの疎外ということと、その克服、と言うことが存在する。

次にシュライエルマッハーはこの理念と実在の接点をイエス・キリストの出来事に見るため、彼のキリスト論に及ぶ。シュライエルマッハーはキリストという言葉の観念を取り扱う。つまり仲保者の概念としてである。そしてまず彼はなぜ媒体が必要なのかを論じている。それは宇宙的なものから離れ無に帰してしまわないために必要なのだ、と言う。キリストはユニークな宗教性の意識の持ち主であった。「彼の宗教が無比であり、彼の見解が根源的であり、彼の力が自己を伝達して信仰を呼び起こすことをこうして意識することは、同時にまた彼の仲保たる職務と彼の神性を意識することである。」つまりキリストの本性(nature)とはシュライエルマッハーにおいては意識の観点から理解されたのであった。これはある意味で非常に賢明な方法であった。伝統神学の本性の議論はギリシアの本性(ψυσιs)の実体論的議論によって迷路にはまり込んでいたからである。つまりキリストの神意識の力は完全であり、人間性の断片性に対する模範であった。この事は同時に彼を人間性の上に引き上げ、彼に神性を賦与することであったのである。

しかしここで模範である限りキリストの仲保性は唯一かつ排他的と理解されてはいない。シュライエルマッハーはキリストの神意識が他に比して論理的に量的な相違であって、模倣を許すものである、とだけいう。しかしキリストが唯一の仲保者であって、その観念の唯一の体現者だと言う議論には全く言及していない。むしろシュライエルマッハーの立論はキリストという観念が相対化されもっと高いキリストの出現を含むものだと言うことを暗示している。

ではもっと高いキリストの出現の可能性を暗示することはキリスト教の未来性の問題に関係するであろう。その事はキリスト教がそれによって、取って代られることもあり得るのか、と言う極めて今日的なキリスト教の可能性の問題へと引き出す。確かにキリストの生の歴史性と言うことを考えるならば、そしてそれが変化と言うことを意味するのであれば、歴史におけるキリスト教は可能性として衰退することもあり得るであろう。しかしシュライエルマッハーは@その場合でもキリストの終焉を意味していない限り、キリスト・イエスの仲保性の、その機能の終焉と言う意味であろう、という。Aそれゆえにキリスト教を超えるものの可能性はあるであろう、がキリストの媒介性を、仲保性を必要としない時代は来ないだろう、と言う。

ここでシュライエルマッハーはキリスト教が唯一の宗教形体だとして人類史上単独で存在するかどうかと言う議論を避けている。また他の宗教がキリストのような仲保者を持つのかどうかと言う議論をも避けている。ただ逆説的にキリスト教も退廃の可能性を持つと言う相対性こそキリスト教の永遠性の最高の証明であるとしている。

以上、シュライエルマッハーの宗教の神学には、今日の問題を先取りしている立論が多数垣間見られる。例えば個々の実体的宗教を全体としての宗教の有限化として見、しかもこの有限において無限なるものを認めるということや、キリストの仲保性を神意識を媒介にして捉え、かつそれは全ての宗教においても共有され得るということや、この神意識においてキリストの神性といった本性の議論を解釈して、伝統的な神学の神性と人性の二性論的形而上学を回避しようとしたことや、根本的直観を共有する限りヨハネの弟子達をもキリスト教徒とする今日の包括主義的議論や、他宗教との関係におけるキリストの仲保性をめぐってキリスト教の未来を考える議論に道を開くような立論などである。

シュライエルマッハーの立論を見て言えることは、彼こそ今日の宗教多元主義の先鞭を付けるものであった、ということである。ところでシュライエルマッハーの論究の背後にカント哲学の影響が窮めて濃厚であるということに注目しなければならない。そもそもシュライエルマッハーが1787年にハレ大学に入学して、その師ヨハン・アウグスト・エーバハルトからカント哲学の手ほどきを受けていたことは周知の事実であって、後に叔父の牧するドロッセンで書かれた最初の論文は、“On the Highest Good and On the Freedom of Man”であって、極めてカント哲学の影響の強い著作であったのである。

カントの宗教観はスピノザと共にシュライエルマッハーにその後も留まることになる。こうしてシュライエルマッハーの最大の貢献は人間の神意識において宗教を理解したということ、それゆえキリスト自身の神意識と他の人々の神意識を相対的に見つめる道を開いたということである。このことがカブが評価するように外部から見られる一現象としてキリスト教を取り扱ったという言葉の意味なのである。

ところで、このカントの哲学を用いて今日独自の宗教多元主義を主張するのは、J.ヒックである。我々は次に彼の宗教の神学を見てみよう。それによってシュライエルマッハーの問題点も明らかになってくることであろう。

2.ヒックの宗教多元主義

上のカブが近代の宗教的寛容の歴史に短く触れたところで、トレルチにも言及しているが、ヒックも「キリスト教の絶対性の超克」という論文の始めにトレルチの到達点にいい及んでいる。そこで彼の有名な「キリスト教の絶対性...」の論文でトレルチが何を述べていたのかを短く概観してみたい。それによって、今日の宗教の神学がどこに立とうとしているのかも見えてこよう。

トレルチにおいてキリスト教の絶対性のテーマは1902年に書かれた「Die Absolutheit des Christentum und die Religionsgeschichte」の中で、明確に取り上げられている。絶対的有効性の問いはトレルチの方法論の中で信仰の確信の問題に関わっているのであり、確信の確かさは外的超越的なものによって来るのではない、という。

そもそも「絶対性の問題」の起源はヘーゲルの絶対的宗教としてのキリスト教という概念にあり、それは教会の教義的超自然性への哲学的表現であり、現代の進化論や他宗教への弁証として生まれた用語であった。

トレルチはこれに対し、人為的な弁証に陥ることなくして、純粋に宗教的生を特徴づける、有効性の自然の要求や絶対の素朴な信仰の意味を正当とするある種の理論的基礎を与えようとした。だからこそ、比較宗教や諸宗教家の研究によって、宗教の内容と理念に焦点を合わせることが必要だと考えた。つまり哲学を背景とするよりも宗教史から規範的なものを引き出すことの方が大切となった。

前期のトレルチは宗教史の研究によって、キリスト教の優越性は比較的に言えるとしたが、後期になると明確に優越性があるが東西で分かれると考えた。

こうして「絶対性…」の第二版では一貫して相対性へ退いていく。しかしキリスト教の倫理における優位について、トレルチは確信していた。当時の個人主義、人格主義に対立する社会主義的全体主義の驚異に対して、キリスト教が一つの理想を提出しうる可能性を確信していた。

トレルチは1923年の講演では「絶対性…」の著作を一部修正している。そこでは彼は第一に個人の概念の重要性を強調している。さらに第二にキリスト教の絶対的有効性の主張は素朴なものだと気付いている。何故なら仏教に於いてもそれを主張出来ると知ったからであった。結局以後超越的キリスト教の有効性の概念は背後へ退いて行った。キリスト教の内的経験の深い現実性はその絶対性を証明しない、と考えたのである。

以上がトレルチの当時到達した結論である、といって良いかと思う。そこでヒックはこのトレルチを超えてどこまで進んだのか、彼の諸宗教の神学の基本的な構造を見てみよう。

i.その形而上学

先に言及した論文の中でヒックはキリスト教の絶対性の歴史的世界における意味を概観し、歴史はそれを超克する方向に向かってきたということを政治、経済、社会、宣教の歴史そしてキリスト論中心の教義に亘って事細かく論じている。確かにこのような帰納的方法は説得力を持っているけれども、ヒックにとって、それが直接多元主義の思想的原理として機能しているわけではない。

むしろヒックは比較宗教史ではなく組織神学乃至宗教哲学に出発点を持っていたのである。それは初期の著作「信仰と知」、「宗教哲学」などを見れば一目瞭然である。

たとえば、「信仰と知」でヒックは次のように語っている。「世界に於て、我々が対象の実在を知るのは、それが人であろうと物であろうと、経験(experience)と経験の中の諸々の証拠から、その存在を推論(inferring)することのどちらかによる。」さらに一般的な宗教信仰者が伝える神の認識は、前者に属するという。しかもこの信仰者は生きた実在としての神が、自分の経験の中に入ったと告白するのである。この神の経験は他の諸対象の経験と、孤立して存在するのではなく、神は物的、社会的環境の中で(in)、かつそれらを通して(through)、出会うものと理解されるのである。

つまり神の経験は信仰者にとって、たとえ不完全かつ断片的であっても、この世界の日常的生の中で起こるのである。とすれば、次には世の認識を媒介として神を、自然を媒介として超自然を認識しうる可能性の問題となる。この媒介知は我々の認知的経験の、一般的に受容された特徴であり、媒介知を構成するのは、意味(significance)を求めて為される解釈(interpretation)、と呼ばれる精神行為なのである。意味とは単なる空無とか混沌ではなく、一つの世界として経験される我々の根本的、かつ普遍的な意識経験に固有のものである。人間の解釈という行為は自然的、人間的、神的と秩序付けられる意味の各層に関してなされる。しかも根源的で証明不可能な解釈の行為は、それが神に向けられた場合、信仰と呼ばれるのである。

以上のヒックの基本思想の中に我々は興味深いいくつかの点を指摘できる。まず、@神は実在として経験によって知られること、しかしA実在としての神は、世界の中の他の客体、諸対象と並存するのではないこと、それ故B神の経験は世界の中に(in)かつ世界を通して(through)生起するのであり、それは客観的出来事ではなく、主観的な解釈的経験であること、そしてC解釈的経験である限り、それは意味を求める主体的経験であり、Dこの解釈が神に向けられるとき信仰と呼ばれる、等である。

このようなヒックの基本思想は、最近の著書、『宗教の解釈』まで一貫したものである。

このような基本的初期の思想こそが、ヒックをして後に諸宗教の神学といえる宗教多元主義を導いていったと筆者は見ている。そしてそのことは以下の論述を通して明らかにされるであろう。

まず、この基本思想の中でヒックは神の実在を世界の中の諸客体とは区別される主観的な解釈的経験として邂逅する出来事としての実在と見ていることに注目しなければならない。解釈的経験はそれによって、意味世界を作っているわけである。しかしここで語られている経験ということを更に深く考えてみると事柄はそれほど単純ではない、ということがすぐに分かる。このことを少し長くなるがカブの本を手がかりに指摘してみよう。

通常我々は経験するといった場合、例えば、

 

「もし椅子を見ると私がよぶ視覚経験をするならば、私が予期しているのはより近づいてそして手を伸ばしたら、私が椅子に触れると呼ぶ手触りの感覚をまた持つだろうということである。そして、私がその椅子に座れば、椅子に支えられていると思うということである。椅子はこれらの諸経験のどれか一つに同定されることはない。むしろ、椅子ということで私が意味することはそれらの諸経験のすべてや他の無数の可能な諸経験と関係しなければならないということである。再び、私達は容易に次のような考えに至る。つまりこれらの多様な経験すべての基礎になっている単位は椅子それ自体であること、椅子それ自体がそれらの経験の原因だということである。

しかし「原因」ということで私達はここで何を意味しているのか。これは通常考えられているよりもさらにもっと難しい観念である。私達は一例を採る必要がある。しかも支配的な哲学にとって標準的な例は、物理科学や物理的世界についての一般的言語に由来する。次のことは一つの好例である。つまり熱は水を膨張させる。私達の問いは、椅子それ自体と私達にとっての椅子との関係が熱と水の膨張との関係のようであるという形で把握され得るのかどうかということである。このことを決定するためには、熱が水の膨張を引き起こすというときにこれが何を意味しているのか、について私達はもっとはっきりする必要がある。

まず、そのことが意味しないことに着目しよう。熱は人間のように水に何かをなさせるある種の行為者を意味するのではないということである。そうではなくここで意味されている熱とは、温度の上昇のことである。温度の上昇は温度計といったある道具によって計られる。熱は水を膨張させるということは、温度計の目盛りが上昇すると私達は水の体積もまた増えるのを観察することができる、ということである。今私達は感覚知覚の領域へ戻っている。私達は、メーターを読むこととほかの観察可能な現象との相互関係について話しているのである。ここでは、因果関係が肯定される。

しかし、もし因果ということが観察可能な諸現象のあいだの関係ならば、その関係は、観察されないまた観察不可能な椅子それ自体と私達にとっての椅子という想像された関係とは非常に異なるものである。その関係は椅子それ自体と同様に考えることが出来ないものそしてまさに知ることが出来ないものに止まる。それゆえもう一度、物それ自体についての全てを忘れるのによい理由があるように思われる。物それ自体ということは経験を説明するのに全く役に立たない。だがら私達は経験以外には物自体について語る理由は少しもない。人間の経験があり、私達が経験するものとしての世界がある。それ自体として存在する世界について、語られる何物も無い。」

 

カブのこの説明は我々の感覚知覚経験によれば、経験の因果関係とは感覚与件同士のそれであって、あえて物自体といったものを感覚知覚経験の原因として要請する必要はないのだというわけである。カブのいう伝統的支配的哲学もそうした、というのである。そこでは物それ自体は人間の感覚知覚経験を離れては実在しない、とされたのである。

これに対して、ヒックの言う神の経験は主観的解釈的経験とされ、この経験の原因こそ物それ自体としての、実在の神とされているわけである。これはカブが支配的哲学と呼びホワイトヘッドが主観主義哲学と呼んだ立場の逆転であった。ここにおいてヒックはいわば実在論の立場に立っているわけである。そして、これはイデアを実在としたプラトンの思想に呼応するし、物それ自体を本体の世界に置いたカントの思想にも呼応する。前者が実在とした経験対象は後者においては〜として経験された限りでの実在であって、それら個々の経験は排他的に自己の実在性を主張して対立しあうというよりも全体としての実在に対しては、相補的な関係にあり、個々の経験は多元的に真理性を主張するいわば現象だというわけである。

ヒックは既に初期に現われたこのカント主義的な認識論を後に、彼の宗教多元主義のプログラムの基本的形而上学として仕立てていくのである。

ii.発展と展開

ヒックは「宗教の解釈」においては、カントにおける物自体を「実在それ自身」(The Real an sich)に類比させた。そして「宗教哲学」に見られたヴィトゲンシュタインの“〜として見る”の変形としての“〜として経験する”をその実在の現象的な多元的経験の形体としたのである。

この構造を実定的な宗教に当てはめれば、それぞれの宗教における礼拝対象或いは究極者はこの「実在それ自身」の“〜としての経験”の現象的表象だということになる。例えば、キリスト教におけるヤーヴェ、アドナイ、エロヒーム、ヒンズー教の梵天(ブラーフマン)、禅宗の空(スニャータ)、道教の道(タウ)、これらは皆“〜として経験”された事柄の異なる表象であり、いずれも象徴的、隠喩的な働きを持つものだといえよう。

この基本的構造は極最近の著書『宗教がつくる虹』においても基本的に変わっていない。そこでは実在者そのもの、つまり神そのものは“語り得ないもの”だとしている。さらに伝統的神学において神の属性とされて来たものも“〜として経験”されたものとしてのそれとして考えられ、実在そのものの属性ではないとしている。また人格とか非人格といった神の概念も神の本性からの抽象だとしている。こうしてヒックの実在それ自身を“〜として経験”し、それが言語によって概念化された場合、これを実在それ自身に対して一つのメタファーに過ぎないとする宗教言語観は「ダルマは悟りや目覚めの経験に達する一手段、方便でしかないのです。」という言葉に尽くされているように思える。そしてヒックは興味深い仏教の一つの例話を挿入している。このように諸宗教の究極的なものを主観的解釈的経験と言おうと意識において相対化して見た時、宗教多元論のプログラムは自ずから出現すべくして出現したものという感がしてくる。この点において、先に述べたシュライエルマッハーとの接点は自明となってくる。

以上ヒックの宗教多元主義のプログラムの形而上学的構造を見てきたが、構築それ自体は窮めて単純な形態を持つ。しかしそれゆえにこれを批判的に論じ、反証していくことは並大抵のことではないであろう。それは近年現われた宗教多元主義理論の中では最も優れたものの一つであることには間違いない。しかし我々はこれについて後程に批判的に検討することにする。

3JB.カブの宗教多元主義

i.その形而上学

カブはこのテーマについて、カトリックの祭司で、ヒンズー教も実践し、自らはカトリック信者であると同時に世俗主義者と自称するレイモン・パニカーの受按50周年を記念する論文集に、一論文を献げている。短い論文ではあるが、多元主義に対する彼の思想の構造を的確に述べているので、まずこれを読んでみることにする。 この本は1996年に出版されており、彼が本格的に多元主義的発言として出版した「Beyond Dialogue」が1982の出版であったことからして、これを含んでの発言として、手短に纏められたであろう、と察する。

まずカブは自分の依って立つ形而上学が普遍的に正しいということを保証するものではない、ことを断っている。彼の形而上学はある状況において、特定の知覚が生み出した結果に他ならないとして、自己を相対化している。

「プロセス形而上学という立場によって、多元主義を支持してきたけれでも、この立場もまた一つの立場に他ならない。しかし、自分自身の立場以外の立場を否定する排他的特徴を持つ形而上学を拒否する。それは全体として、他の立場を否定する時よりも、積極的に肯定し、顕在化する時にこそ、人々はもっと信頼できると判断するのである。プロセス思想の本質はそれ自身過程の中にあると理解している。あらゆる物は常に再考に開いているのである。」

その上でカブはそれぞれの宗教の構築と認知の間の弁証法を提示してくる。

つまり、それぞれの認知(cognition)はそれ自身の世界を構築する。この構築は諸要素が認知される出来事の関係と大きく異なるか或いは似ているかする仕方で、認識される事を関係づけたり、解釈を導いたりする。これら認知と構築とは循環的な関係にあるものである。

このことからそれぞれの宗教の真理要求や、正さの要求が対立するという宗教的多元性というものを理解するとこれらの構築から起こるこれらの要求が見えてくる。つまり、これらの要求は異なった認知から発展してきたものである故に、さらに、それらの構築の間に打ち建てられた型や解釈が正しいという如何なる保証もない故に、対立があるのだという事に全く驚かない、という。そこでこれらのあらゆる伝統の信者達が、自分達に大きな価値がある意味世界を構築して来たのであって、それが普遍的真理として扱われるべきではないということが分かるようになるように奨めたいのである、という。

しかし、このことは一つの伝統が単なる相対的なものであるということに結果するのではない。むしろ認知されることは全母体からの全く異なる特徴化なのである。それゆえに違いというものがまさに重要なものとなる。例えば仏教では認知とその構築こそ苦しみの源であり、そこからの解放は純粋な認知に至る事だとしている。それは無分別の教えである。他方別の方途もある。それは構築を取り去るのではなくして、より向上させること、構築がより実在に近づくような試みに挺身する事である。ここには現在起こっている事と起こるであろうことに対する考察が含まれる、そしてその不協和を和らげるための方途を考察するという態度が生まれるのである。これはキリスト教の伝統に特徴的な方途であろう。更に如何なる認知も有り得ず、構築のみがあるという立場もある。しかも彼らは、持続的脱構築という事を支持する。この世界の構築的特徴を見通す事が我々の究極的な解放だと示唆する。これは哲学的脱構築の立場であろう。この思想的傾向は、キリスト教神学の様々な領域に波及して、脱構築的神学を生み出している。この神学は、例えば、キリスト教の伝統の中で築き上げられてきたパリサイ派に対する偏向的見方やユダヤ人観、或いは女性観などの脱構築に及び、それは組織神学のみならず、聖書学、教会史、実践神学、宣教学など全ての分野を含むキリスト教のパラダイムの変換の試みとなっている。しかし、この見通すということはそれ自体私達の意味世界の特徴を認知する事である。それゆえあらゆる認知を否定するということは一つの誇張であろう。

またさらに、自然的、社会的世界のパターンから生起する別の伝統がある。道教は自然の出来事の調和、均衡、互恵性を認識する。儒教は安定と、調和的な政治体制に導く人間の行動や、社会秩序のパターンを認知する事を説く。

これら種々の構築には共通の要素がある。でなければあるものが正しくて他のものが間違っているという事を示す事は出来ない。しかしどの構築も中立な見方という事は有り得ない。常に各構築は他のものに対して閉じているのが通例である。しかし今日諸宗教伝統は他の伝統が何らかの認知を持っているということに目を開かれずにはいられない状況の中にいる。その理由があるのである。

カブはこのような、認知と構築との弁証法を諸宗教の出現(emergency)のダイナミズムの内に認め、この弁証法が実はプロセス思想の形而上学から来ていることを説明する。

プロセス思想は宗教の諸体系の多元的類型論を発展させ得る。プロセス思想はあらゆる出来事の中に他のバラバラの多くの出来事の統合を認知する。ここに重要な概念は創造性(creativity)という概念である。創造性とは形を持たない、いわば存在それ自身といえるものなのである。出来事の過程には別の重要な概念が存在する。それは永遠的客体(eternal objects)と呼ばれるものである。これは創造性と並ぶ可能性の領域であり、別の究極的要素といえる。そして第三の要素が全体的過去(entire past)と呼ばれ、時空的連続体において現在するものがどのような位置を取ろうとも関連を持つものである。

これら三つの要素は如何なる出来事の分析にも見出される全く究極的なものである。如何なる二つのものの関係も二元的なものではない。それらは相互にお互いを必要とするものである。永遠的客体を離れて如何なる創造性もなく、現実世界を離れては、如何なる創造性乃至永遠的客体もない。同様に創造性や永遠的客体を離れて、如何なる現実的世界もないし、創造性や現実的世界を離れては如何なる永遠的客体もない。

この形而上学的三要素は宗教的伝統の多様性を解釈する上で結果として役に立つ事になる。例えば個人の究極的運命に関して、インドでは一滴の水と大海との関係として捉えられる。個は大海の水へと至る過程として考えられている。しかし西洋においては、個は一滴、一滴なのである。水はホワイトヘッドの創造性の概念に似ている。インドでは大我或いは梵天或いは存在を現している。物は実体からなるのでは無しに、縁起の即事性としての出来事なのである。

大我という言葉であろうと縁起であろうと、注意が向けられ、認知されている実在の局面はおおよそ同じなのである。問題は私も、他の全てのものも究極的に何から出来ているのかという事である。ベーダンタ・ヒンズー教では大我乃至ニルグーナ・梵天とか属性のない梵天という。仏教では縁起乃至無という。あらゆる特殊が取り去られた時には何も残らないのである。なぜなら出来事とは、縁起の一例(一滴)だからである。

反対に伝統的西洋は形あることに留意して来た。ヘブライ人は創造とか贖いということを形成(forming)、再形成(reforming)、そして形成変換(transforming)として理解してきた。彼らは注意を現在あることと、あるであろうことの間の対照に、そして現実の選択の間でなされる決断という事に注いできた。目標点は新しい天であり、新しい地であった。

以上の立論は極めて明快である。カブは宗教の多元性を認知と構築の弁証法、プロセス思想の言葉を使えば、合生或いは生成(becoming)と存在(being)の弁証法によって捉えようとしている。ある宗教の構築は常に、それ自身自己完結的であろうとするが、それに留まることなく、より高い認知に鼓舞されて創造的に変革され、新しい構築に向かう。より高い認知に鼓舞することが宗教間の対話なのである。しかし対話はそれ自身目的では有り得ないはずであるから、創造的に変革され次の構築をゴールとするわけである。そしてこの構築は次の認知に開いているのである。その意味では構築そのものが完結した物ではなくして可能性に満ちた存在の様相を取るものである。つまり実在それ自身は存在神論のように存在するものではなく、このプロセス全体を含むものといえるであろう。実在それ自身は無限の持続的プロセスなのである。

カブのこの思想はヒックのような認識論的実在それ自身それゆえ静的な本体として考えられる傾向を破り、実在それ自身を歴史的、ダイナミックなものとして捉えていることに特長を見るのである。

ii.発展と展開

以上の宗教多元論の形而上学の実質的展開は、1982年出版の「対話を超えて」に下敷きとして存在した。

まず彼は対話への道として、キリスト教における他宗教に対する非寛容と寛容の歴史をたどりながら(既述 1の項を参照)、キリスト教の歩むべき道筋を示唆する作業をしていく。そして宗教間の対話はそれ自身が自己目的ではなく、この対話を超えていかねばならないこと、対話を超えるとはカブにおいてどのような意味を持つのかを示していく。

まず、大まかな寛容と非寛容との緊張関係を歴史的に振り返っている。そして、既に触れたシュライエルマッハーの立場に及んで後に、次のように展開する。

本格的な寛容についての発言は、二十世紀の初めエルンスト・トレルチによって始められた、という。・・・中略・・・かれの結論は、偉大な諸宗教のあいだでは各々の宗教はおのれ自身の文化的必要に適合せしめられたこと、客観的優越性の問いがそこから責任をもって提起されることのできる視座などないということ、に尽きた。こうしてトレルチは不本意ながら、最初の偉大なキリスト教的相対主義者になったのである。ここまではヒックの発言と重なっている。

しかし、カブの目指したのはキリスト教的相対主義になることではなかった。カブの意図する宗教間対話のプログラムは対話のための対話ではなく、更にそれを超えて、深まりいくものであったのである。それは先の弁証法に基づいて、それぞれの宗教の構築を与件として、創造的に変革する認知と構築の循環のダイナミズムに挺身することであった。 例えば、仏教とキリスト教との相互関係においては、キリスト教が仏教によって、創造的に変革されると同時に、キリスト教自身が仏教化するのではなく、豊かな経験として合生するというものである。それは伝統的な宗教間対話の神学を越えることを目論む企てであった。このために彼は「移り越し」(pass over)と「立ち返り」(turning over)という二つの概念で、このダイナミズムを表現する。ホワイトヘッドの哲学はこの概念の出所であった。

まず、カブはキリスト教徒としての立場から、仏教の理解へと移り越す。「移り越し」に関して、例えば、神信仰を仏教の理解から以下のように論じる。

「キリスト教が、われわれはキリストに忠実であり、神に身を全く捧げるべきである、と教えるかぎり、仏教はこの教えを、苦からの解脱への障害とみなす。仏教徒たちが神の実在性を否定するか、あるいはこの主題について沈黙を守るか、のいずれかしかしてこなかったのは、このゆえであって、一般的知的懐疑主義からしてではない。神への信仰は、愛着への非常な誘惑をかもす。実際、神観念は、ふつう、執着するかまたは忠誠を誓うかすることが相応しい存在の観念なのである。神礼拝は、ふつう、その一様な態度の表現である。こうした理由で礼拝は、仏教では奨励されない。仏陀はまた実にたやすく愛着の対象としてのはたらきをすることがありうるものだから仏に会えば仏を殺せという趣旨の有名な仏語があるのである。」

これは仏教の依って立つ究極のものが、空だということによるであろう。この、仏教の空とキリスト教の神との関係をカブはどのように見ているのであろうか。カブはそれを探求するために、ハイデガーにおける、存在神論の否定と存在の発見という事態に注目する。そしてその究極的解答をホワイトヘッドの思想に見出して、改めてキリスト教に「立ち返り」キリスト教の新しく採る形体のいくつかを示唆するのである。「もしも神が、一切のつかの間の現実化がそれに依拠する、究極的実在の唯一、宇宙的、永久的現実化であるならば、神の究極的実在との非同一性は、いかなる仕方においても神をそれに従属させはしない。というのも、神は究極的現実性だからである。究極的現実性としての神は、空が究極的実在であるのと全く同様に、究極的である。空は神と異なっている。そして空なしには神はないのである。しかし神を離れては空はない、ということも等しく真実である。空は神「より上」乃至は神を「超える」ものではない。」

この神と空との関係についての見解は伝統的な存在神論においては到達不可能な見解といえる。しかしそれを可能ならしめたのはホワイトヘッドの思想であった。以上の文章で、東洋的伝統においては空こそ神以上に究極的なものとされることが予測されるが、カブの理解では空は神を超えるものでもなければ、神が空を超えるものでもないとされている。この解釈はカブの思想の一つの東洋との出会いの極みとも言えるものであろう。恐らく、この対話無くして彼は引き続き伝統的な有神論の神に留まらざるを得なかったことであろう。

神は究極的実在と区別されるけれども、その永遠的合生つまり現実化として、それに従属するものではない。ここから空と神との相即性が生まれるのである。恐らく、この理解はホワイトヘッドの創造性と空との類比がなければ生み出されることのなかった観念であろう。

こうして、カブはこの新しいキリスト教の神理解に対して次のように言う。やがてキリスト教徒達は、そのような仏教化された神観のほうが、神の存在乃至至高の存在者としての同定がするよりも、ずっとイエスにおける啓示と共鳴する、ということに気付くのではないか。

カブはこの言葉によって、伝統的ないわゆる存在神論が歪めてきたイエスにおいて啓示された神を新たな理解へともたらしたものと考えているのであろう。勿論カブの弁証法の真意によるならば今到達された構築は更に新しい認知に開いていることは言うまでもないことであるのであるが。

以上カブの宗教間対話と宗教の神学を概観したのであるが、これは伝統的な対話プログラムとは際立って異なる注目すべき内容を含むものである。そこで我々は次にこれまで述べてきた、ヒックとカブの宗教多元論を批判的に検証することによって、我々の結論を導くことにしよう。

4.批判的評価

i.カブと小田垣のヒック批判

カブは上掲書において、ヒックの宗教多元論を紹介し、批判している。しかし、この本は1982年に出版されているために、その批判が最近のヒックの思想展開を全て網羅しているとは言い難いが、1982年当時と今日のヒックとは基本的にその思想枠組みにおいては変わっていない故、カブの批判は今日においても有効だと筆者は考えている。

まず、ヒックの全ての宗教的経験の根拠となる実在それ自身という仮説に関してカブは次のように論じる。「かれの仮説は人格的存在を含めてあらゆる存在のヌーメナルな超越的根拠乃至は宇宙の造られざる創造者が存在するというものである。全ての宗教的経験は、この一つの実在に就いてのものである。」そしてこの実在それ自身の経験はキリスト教のように人格的であると同時に仏教のように非人格的でもあると認識しなければならないという。ヒックの考えによれば「仏教徒たちは、キリスト教徒達によって経験されているのと同一のヌーメナルな実在のある側面に関わっている。相違はただ、彼らがそれを経験する仕方にあるのだ。」

しかしカブはこれに関して次のような批評を加える。「多くの仏教徒は、全ての宗教が同一の実在を取り扱っている、ということに賛同する。しかし、その実在を人格的存在を含めた全ての存在の超越的根拠として見るヒックの解釈を、受け入れるものはほとんどなかろう。彼らの修行の大部分は、いかなる種類のものであれ根拠がある、という考えを超克することに費やされている。...ヒックはこれらの定式化が余りにも西洋的経験によって決定されていることを認めて、これから身を引き離すかもしれない。」

カブによるこの実在それ自身という仮説の問題性の指摘にも関わらず、ヒックは今日でもこの仮説を引き続き保持し続けている。ヒックは最近の著書「宗教がつくる虹」においても「語り得ない究極的実在」という仮説は、語り得ないということによって、人間による概念のネットワークの範囲を超えでた本性を持っていることを意味するとしている。

しかしカブは実在それ自身という仮説は仏教徒のみならず、キリスト教徒にとっても問題を含むことを指摘する。「純粋に超越的な神を宗教の共通根拠として主張することは、キリスト教的自己理解にとっても否定的消極的結果をうむ。ヒックは神が宗教的諸伝統に共通するものであり、キリストはキリスト教に特有のものだと信じて、もしもキリスト中心主義から神中心主義に移行するならば、もっと公然と対話に参画することになろう、と考える。...特にヒックはキリスト教徒たちがそれを通じて一方的な超越への傾向をチェックしてきた三位一体と受肉の二つの教義に批判的である。」このようなヒックの立場に対してカブは「キリストへの帰依は対話を禁じたり、ラディカルな真理探究を妨げるのか。もちろんそうではない」としてヒックの実在中心主義に真っ向から対立するのである。そして神の啓示的救済的現示としてのキリスト論や受肉の信仰を対話のために犠牲にすることは、我々を虚弱にするだけでなく、対話のパートナーに対する我々のもっとも尊い潜在的な贈り物を我々から取り去ることになろう、と警告する。

こうして、彼は次のように結ぶ。「しかし、対話に入るためには、そのような犠牲など何も必要ではない。...最上の対話は、両パートナーが多くの事柄を確信している時に起こる。真理は確信の欠如によってではなくして強固な確信を批判の光りに晒すことによって、もっとよく考究される。」ここでカブの言う「批判の光りに晒す」という意味は別言すれば、「変えられることに心を開いている」ということに他ならないことは既にカブの多元主義の形而上学を知る我々にとって自明のことであろう。

ヒックのように実在それ自身という仮説を立てることなくして、つまりキリスト論や三一論を犠牲にすることなくして諸宗教の神学を打ち建てようとするカブの路線を継承するのがカウフマンであろう。彼は仏教の空、仏性、慈悲等の観念との対話に関して次のように述べている。「仏性とか空とか慈悲というような仏教の観念に近接することを可能にするのは、私のキリスト教における究極的実在の概念の体系化においては、まさにこの三位一体論およびキリスト中心論なのである。かくして、逆説的に言えば、キリスト教徒と他の宗教的諸伝統に属する人々とを隔てる障害であるとときに見なされてき、またそれゆえに神学者の中には括弧の中に入れるか放棄すべきであると示唆する人もあったキリスト教信仰と神学の特徴、すなわ三位一体論とキリスト中心論は、キリスト教と少なくともいくつかの他の宗教的伝統との関連を、それによって最も明確に表現することの出来る媒介であることが分かるのである。なぜなら、ここにおいては、神は真に非実体化的仕方で理解されるようになるからである。」

この立論の根拠は三一論を比喩的に解釈することにある。「(1)神とはあの自己犠牲の、或いは自己を空しくする(フィリピの信徒への手紙一章七節)創造性と愛であり、それこそがそれによっていかなる現実、いかなる出来事も最終的に理解される究極の指標である。(2)この創造性と愛はイエス・キリスト、特にその受難と死において最も劇的にかつ決定的に肉化し啓示された。が、(3)にもかかわらず、この創造性と愛は、神はいつでもどこにも存在すると言ってもいいようなあり方で、いつでもどこにも存在する。」

以上見たようにヒックとカブそしてカウフマンの宗教多元論の相克はどこに原因があるのであろうか。それは既に述べたように両者の形而上学原理の相違にあると筆者は考えている。前者は対話を自己目的化し、それゆえ自己撞着に陥っているともおもわれのである。他方後者は批判的な光りに自らを晒し、創造的変革に開かれるというゴールを持っている。その際伝統的神学の確信を否定媒介としてキリスト教を更新するという観念をみずからの内に維持している。恐らくこれが対話のアイデンティテーの中心を形作るものであろう。

このような批判に対して、ヒックは確かに最近の本でも「変貌するキリスト教」という一項を設けて「キリスト教の基本理念の破棄を要求するわけではないが、これまでの伝統にはない方法で、キリスト教の基本理念を新たに理解し直すことを要求することになる。」とは言っているが、この言明には実在それ自身といったヌーメナルな実在を要請して、それを認識論的に解釈するための対話という観点が勝っているのである。それぞれの構築としての実定宗教が与件として新しい認知を目指して創造的に合生するといった観点はない。その証拠にヒックは対話の結果としての諸宗教の姿に関して次のように述べる。

「現存する世界信仰の信者が、自分自身の伝統に信心深く生きることによって、自分自身の仕方で実在者、究極者に出来る限り十分に応答していくべきだといっているのです。ですから、この点で宗教多元主義は、それぞれ異なる伝統をそのままにしておくのです。それぞれの伝統は、独自の性格と歴史的特殊性を備えつつ、救い/解放の純正な脈絡としてみとめられ、尊敬され、肯定されているのです。」

この引用の中には宗教間対話が実在それ自身の経験をより豊かにする創造的変革の与件なのだという明確な弁証法がなく、単に認識上の自覚の問題になっている。実在それ自身と諸宗教間の対話という個々の現実的出来事としての構築との間の積極的関係は見出されない。両者の間には超えられない二元論的亀裂が存在するといって良い。実在それ自身は不動な実体としてはじめから措定され、それを“〜としての経験”として経験する主体は二元的に対立しているのである。

さて次に、ヒックの宗教多元主義を別の視点から批判するのが小田垣雅也である。そこで、小田垣の批判を見てみることにしよう。

ii.小田垣雅也のヒック批判

まず小田垣はヒックの多元主義のプログラムを次のように評価する。「ヒックやサマーサが言っているような、実定性を超えた水準での『神』、したがって人間の知識を超えた『神』の水準で『諸宗教の神学』は建設されるべきだという神中心主義の主張は説得的に見える。」なぜなら「宗教が実定化された時、その宗教が表現しようとしている当のものは死ぬ。霊は生かし、文字は殺す。表現されたものは偶像であり、偶像はキリスト教でもモーセの十戒以来禁じられている。そして偶像は本性排他的である。だから『唯一無限の神的実在』や『神秘』の水準に下降した神中心主義的視点でのみ宗教間の対話はある、とこの人々は言う。」からである。しかし小田垣はこのような立論にはまず、「第一に、そのことを主張しているヒックやサマーサが一人の人間であり、したがってこれらの主張そのものが時代的、文化的制約を持っているということに、この人々が明確な認識を持っていないように見えることである。しかし第二に、そのような宗教学的評価とは別に、神学的に言って、たとえどれほど洗練されたものであっても、諸宗教間に共通項を発見しようとする努力は、宗教が生死を賭けた問題であること、その意味で排他的で比較を超えた現実にこそ関わっているものであることが見落とされているということがある。」として批判する。つまりこのような主張には宗教的コミットメントが本来欠けているのであり、全てを見渡し得る架空の立場に立っている、というのである。

ヒック自身は過去にこの類の批判を度々受けて来た経験から、最近の著書『宗教がつくる虹』において次のように応答する。「宗教多元主義的仮説は根底から機能的に到達しています。まず私は、キリスト教の宗教的経験が純粋に投影ではなく、同時に超越的リアリティーに対する認知的な応答であると信じる信仰者として出発しています。」とのべ、この仮説がコミットメントを欠くいわゆる高所からなされているのではないことを強調する。その上でさらに、その宗教経験が他の世界宗教にも適合するという認識に至り、この仮説を立てるに至るという経緯を説明している。「次に私は、他にも偉大な世界宗教があって、様々に異なる宗教的経験の諸形態、つまり同じしかたで支えられている認知的な性格のものがあるという点に注目します。...しかし今度は、等しく宗教経験に根ざした、またそれらの結ぶ実によっても確認された、いくつかの相容れない真理の主張という問題を抱え込むことになります。この状況を良く理解するために、私は様々に異なる宗教文化的な人間の在り方の中から、違った仕方で思考され、それゆえ違った仕方で経験される心的な究極的リアリティーという仮説を立てます。この仮説は、宗教史家たちによって記述された諸事実を、自然主義的な観点とは区別された宗教的な観点から説明するためのものです。...仮説は最良の説明として与えられるものです。...最良の説明が提示されても、それは証明ではありません。」

このヒックの言葉を見る限り、小田垣の多少一方的とも見える批判は妥当するとは言えないように思われる。それは高所に立って諸宗教の共通項を発見しようとする試みでもなければ、架空の立場に立つ、という批判も妥当とは言えない。むしろヒックはキリスト教徒としての真摯なコミットメントとその応答として、彼が置かれた宗教的状況を解釈し、説明しようとしているとしか考えられない。

しかし既に我々も見てきたように、ヒックのこの意図は必ずしも成功裡に遂行されたとは言いがたいのである。それは彼の依拠する形而上学的方法論に問題があるからであった、というのが我々のこれまでの論点であった。そこで最後にこの論文の結論として我々の到達したものを述べてみたい。

5.結論

i.小田垣雅也の示唆と多元主義的形而上学

小田垣がヒックを批判するポイントは、諸宗教における究極的リアリティーの経験を表現した究極者における相対性を破るものが実在そのものだとする、絶対性の主張は理の世界での絶対であって、真の絶対は事として、つまり出来事としての絶対でなければならない、というものであろう。この区別をしないことがヒックの立場を「架空の」という厳しい形容詞を用いた理由だというのである。

しかし小田垣はこの理における絶対と相対なしに、事としての絶対も有り得ないという弁証法を支持する。この論理はそのまま宗教間の対話と関係の論理とされている。「キリスト教の絶対性と排他性があり、それが比較宗教学的には相対なのだという理が、事としての絶対の前で断絶される時、(ヒック達の)神中心主義の動機も生かされることになるだろう。」つまり彼は事としての絶対が現われる時には全てのものが相対とされるのだというのである。「相対は絶対がなければ相対では有り得ない。逆も真である。相対は可能態として絶対を含んでおり、絶対は現実態として相対を前提している。このことは、相対なる人間が手にし得るものは相対だけだということである。」

小田垣はこのように述べて、彼の理と事の弁証法を次のように纏めている。「事そのものと、その表現つまり理の間の断絶は、神学者がになうべき十字架であり...人間の思考や行為には、それが思考や行為として一つの思想を表現している限り、かならず嘘の要素を持っているのである。表現とはそういうものだ。理は事の抽象化であるが、しかし理における認識を離れては、事は理解できないとも言える。少なくとも公同のものとしては理解できない。」

ii.ホワイトヘッド的宗教多元主義の形而上学の提示

以上小田垣の多元主義の弁証法は、カブのそれに極めて類似している。理と事との弁証法はそのまま構築と認知の弁証法に通じる。ヒックにはこの弁証法はなかった。彼にはカント主義的な形而上学が支配的である。その為に実定的宗教を否定媒介として、つまり歴史的宗教そのものと究極的実在との関係を、小田垣が批判するような認識論的な形態を取るに至るのである。もちろんヒックの仮説は現実的経験を説明するために要請されたものではあったが、歴史のダイナミックな関係を十分に受用できなかったし、それゆえ宗教間対話の相関と目標を正しく設定できなかった。彼は個々の宗教の特殊相対性をそれゆえ真剣に受け止めていないといえる。それがキリスト論や三一論を犠牲として神中心主義を掲げ結果として、小田垣が言うように、「架空の」という批判が向けられることになった理由だ、と考えるのである。

ヒックが言う実在それ自身の主観的解釈的経験の相互の相補的関係乃至総和としての実在それ自身を要請するという理論は一つの大きな問題をはらんでいる。 それは“〜として経験する”という主観的解釈的経験の相補的総体が物それ自体との類比である実在それ自体に一つなのかどうか、という疑問であろう。一つ一つの解釈的経験はそれを無限に集めても果たして、実在それ自身と言えるのかどうか、その点に関して、ヒックが依存する形而上学においては問題が残る。というのは個々の主観的解釈的経験に対して、実在それ自身は全体の関係にあるからであろう。両者には断絶がある。つまり個の総体は全体ではないというそれである。そしてそれはある意味では正当な論理ではある。

ヒックが依拠するカントの形而上学は両者に断絶を認めている。しかも、それは二元的である。それゆえ、実在それ自身は主観的解釈的経験の総和ではない。これは、人間の意識に基づくいかなる経験も原因としての実在それ自身を推論することは出来ない、というこの種の哲学によって既に認められてきた原理であった。この結果、カントの形而上学を宗教多元主義に用いるヒックの論理に破れが見られる。つまり、ヒックにはヴィトゲンシュタインに起源を持つ“〜として経験する”という概念における経験それぞれの肯定的関係を評価する論理は存在する、それゆえに対話を推進する必要条件はあるといえる。しかし、その対話のゴールが見えてこないのである。つまり、対話は認識上の問題であって、実定宗教の形態そのものの問題ではない、といった自己撞着に陥っている感じが否めない。実在それ自身は個々の主体的解釈的経験と弁証法的関係を持っていないのである。それが引き続き二元論に留まり続ける理由である。宗教間対話の創造的相関のゴールが見えてこない。それは相関の弁証法が欠けているからである。

これに対して、ホワイトヘッドの多即一の弁証法はカブが言うように、多即一の創造的変革のプロセスである。多は多で終わることなく、相互の変革止揚において豊かな一となる経験の成就(合生)を生み出す。更にそれは他の多に開くという過程の弁証法がある。つまり、多としての他が、この合生の与件として、無化されているのではなしに、自己もまた一つの与件として自己自身を無化している。諸宗教間の対話とは、このように、有でありつつ、無であり、無でありつつ、有であるという弁証法的なプロセスではないだろうか。

ホワイトヘッドの実在それ自身は、この多即一の統合として捉えられているのである。それは存在と非存在(生成:becoming)の統合としての実在の相である。つまり、あらゆる出来事の出現そのものが常に創造的新しさを何らかの意味で含むものである時に、この出来事の生成或いは合生の過程には既に実在それ自身が或いは神が折り込み済みなのだ、というのがホワイトヘッドの神論なのである。それは、意識的経験を必ずしも前提としているわけではない。勿論、意識的共同体(例えば教会)においてそのようなプロセスをより顕在的に感じるということは否定できないことではあるが。

私達はホワイトヘッド・カブの線での宗教多元主義論を構築していくことを、支持するものである。それはいかなる物も自己の立場を無視して、対話を遂行することは出来ないという反省に由来するものであり、それこそがより生産的な多元論を導くであろうという確信によるからである。