都市コミュニティー開発局(Urban Community Development Office: UCDO)の取組


●この事例は、国の経済開発のための方策として、主に外国資本の誘致によってなされる フォーマルセクター中心の開発だけでなく、インフォーマルセクターを支援することによって、 インフォーマルセクターの自立的発展を促し、結果的に国全体の経済発展を実現する道を 模索しているといえる。
(1996/8訪問(2000/3再訪):スムスク局長にインタビュー及び資料を中心にまとめる)

 バンコクにあるスラムコミュニティー約1200のうち何らかの saving and credit organization(信用貯蓄組合)のあるコミュニティーが 約850存在する(1996現在)ほどクレジットへのアクセスは改善されつつある状態。一方、 政府は国家住宅局の特別プロジェクトとして、1992年、50億円を基金として国家予算より支出して、 Urban Community Development Office(UCDO:都市コミュニティー開発局)を創設した。 主な事業は、上記都市スラムコミュニティーで組織された住民信用貯蓄グループに対する融資である。 これは、次のような考え方に基づく。バンコクにおけるスラムコミュニティーは、 自分達の自助努力によって、貯蓄グループを作って、所得向上のための事業を始めたり、 事業拡張を行うようになってきた。しかしながら、その貯蓄グループは、 成員が主にスラムの住民であるため、規模自体はそれほど急速な発展を実現できない場合も多い。 そして、その場合、閉鎖された貯蓄グループでは、赤字のなることは許されず、これが限界となって、 彼等の事業活動の発展、しいては彼等の所得水準の向上が妨げられていること気付いた。 また、それが原因で、コミュニティーそものもが不安定になるという実態にもきづいた。 そこで、公的機関がこれらのスラムコミュニティーの貯蓄グループに回転資金 (revolving fund)を融資することによって、スラムコミュニティーの人々の小規模事業の展開を活性化し、 またコミュニティーの安定化をはかり、しいてはタイの経済全体の発展に資するのではないかと考えた。
 当初は、インフォーマルセクターの人々のCreditへのアクセスを支援することが主たる目的であり、 またその内容も、土地や住宅を取得するためのものが中心(つまり土地・住居へのアクセスの支援) であったが、次第にに重点が移りつつある。現在カバーしている範囲は、 バンコクのスラムコミュニティー約1200のうち約400コミュニティーである (1998年現在450コミュニティー)。また、現在タイでは、地方都市でもインフォーマルセクター (スラム)が拡大しつつあるので、地方都市のスラムコミュニティーへのはたらきかけも開始している。 また、回転融資だけでなく、独自にスラムにおける小規模事業への融資も行っている。
 また、このUCDOは、理事会が政府、民間企業、NGO、 スラムコミュニティの代表からなっているということも特徴的である。しかしながら、 タイの政権はそれほど安定的とは考えられないので、UCDOの理事達は、 政権交代の影響を受けないように、現在、自立基金となることを目指している。
 以上に記したように、UCDOは、 もともとインフォーマルセクターの人々の土地・住宅へのフォーマルなアクセスと、 creditへのフォーマルなアクセスを支援することを目的に設立されたが、現在、 インフォーマルセクターの小規模事業の活性化に取り組むに従って、新たな課題、に直面している。 それは、marketへのアクセスである。
 UCDOは、1996年以降、幾つかのスラムコミュニティーがmarket(流通機構) にアクセスすることの支援を試み始めた。その経緯と考え方を簡単にまとめると次の通りである。 スラムコミュニティーの人々が、フォーマルなcreditへのアクセスが可能となることによって、 (コミュニティーによる)小規模な事業を始めたとしても、 普通その製品(衣類、食品、装飾品、雑貨)は、仲介業者に非常に安い値段で買いたたかれる。 結局、仕事はあるが、彼等の生活向上にはつながらないことに気付く。本当の問題点は、 流通システムが、既存の受益者(金持ち、大資本、多国籍企業、華僑など)によって、 コントロールされてしまっており、流通機構への新規参入が非常に困難である点で、 人々(インフォーマルセクター)が、この流通システムに公平に参入できなければ、 結果として既存の受益者(フォーマルセクター)に搾取されるだけであると考える。 UCDOは、貧しい人々が、公平に流通システムにアクセスできるように、 既存の市場構造を変革することが、貧しい人々にとって、 また経済発展にとって重要なことであると考えるようになってきた (市場の自由化だが方向が逆であることに注意)。
 以下、この試みの例を中心にUCDOのかかわっているスラムコミュニティーの取り組みを スライドで紹介する。

1)Bangkok Community Handicraft Center

 UCDOは、5つのスラムコミュニティーが合同で、Bangkok Community Handicraft Center を設立するのを手伝った。このセンターの主な目的は、それぞれのスラムでつくられる生産物を、 既存の仲介業者を通さずに、 タイの国内と国外の市場で直接に販売するためのネットワークを新たにつくっていくことである。 その際、UCDOが持っている、他の住民団体、市民団体(タイの内外)、政府関係団体、 民間企業(タイの内外)などとのネットワークを利用して援助する。
 具体的には、大学の記念祭での販売による定期的顧客の開拓、 ヨーロッパでの展示場の紹介(国連、ILO、タイ国政府関連)、 民間企業・NGOをとおしての販路開拓などだが、 始めたばかりで現在模索中(例として、日本のハーブ店の可能性)。 生産物の品質は、マニラのスラムでよく作られているようなものに比べて、かなり高いように見え、 また実際に現在、仲介業者を通して、多く輸出されていると言う。

2) Suiyaiuthit Communities(garbage recycling communities)

a)概要

 このスラムは、約500世帯からなり、 その80%がゴミ収集を業として生計をたてているスラムである。 彼らは、一世帯あたり600B/M を、地主に払っているにもかかわらず、 地主は、文書による正式な借地権を与えておらず、常時、強制取壊しの危機に直面している。 UCDOは、彼等の所得向上のための事業への融資にかかわると同時に、 土地のフォーマルな取得に対しても支援中である。

b)income generatingの方法

 当初、彼らはズタ袋で、ゴミ収集をおこなっていたが、UCDOの融資により、 まず自転車トライシクルを用いるようになり(業者にトライシクルを借りると、 その日の稼ぎのほとんどはレンタル料でとられてしまう)、次の段階として、 オートバイトライシクルを用いるようになった。あるものは、トラックを購入して、 仕切場経営者となるものもいた。また、UCDOとは関係なく彼ら自身の試みとして、 壊れたバイク、自転車、扇風機、冷蔵庫などを集めて修理するサービス業を始めるものもいる。 また、タイ北部やカンボジアに行って、壊れた古時計を探して修理して、 ヨーロッパ向けのアンティーク市場で売るものもいた。

c)マーケットの問題

 このコミュニティーにおいて、UCDOが新たな試みとして検討しているものの一つとして、 市場の問題がある。現在、廃品を回収してきたスラムの人々は、それぞれが個別に、 その廃品を仕分けして、仲介業者(大多数はスラム外の業者)がこれを買い取り、 工場に売るという仕組みになっている。しかしながら、個々人では、交渉力が弱いため、 回収してきた廃品を、仲介業者に非常に安い値段で買いたたかれているという。 このため、UCDOとこのスラムコミュニティーは、 共同でそのコミュニティー独自の仲介組織を組織して、直接工場に売ることによって、 交渉力をもつことを考えている。

d)生産の場としてのスラム

 ここで、本筋とは少し離れるが、一つこのスラムでの話しを聞いて、 興味を持ったことを補足しておく。先に、このスラムは強制立退きの危機に直面していて、 UCDOは、彼らがフォーマルに土地を取得することの支援もおこなっていると記したが、 当初、UCDOは、土地分有の可能性を勧めていた。しかし、これには住民自身が反対した。 理由は、高層住宅では、 彼等の仕事の重要な部分である廃品の仕分けを行う場所がないということであった。 よって、現在は、コミュニティーで代替地取得のための貯蓄を行っているとのことである。 これを通して、スラムの強制立退きが、単に住居の喪失を意味するだけでなく、 生産活動に用いる資本の破壊を意味する場合が多い (他のスラムでも、露天商で売るための 、食品や小雑貨品の生産活動をその居住の場でやっていることは普通である) ということに注目することは、 経済発展に対するインフォーマルセクターの役割を考える上では重要なことではないかと思われる。 (例えば、ペルーのワイカン(約10万人の不法占拠地)では、政府との交渉の結果、 住宅のための土地取得だけでなく、 共同の作業場として政府がきちんとインフラを整備した工業団地のようなものまでも獲得した。 また日本の野宿者たちの公園等のテントについても、 実は彼らの多くはアルミカン集め等で生計を立てており、アルミカンをつぶしたり、 保管したりする場というある意味での生産活動の資本的意味合いを持っている。 このような場合テントの強制撤去は、生産設備の破壊をも意味している)。
※なお、2000年7月28日、UCDOは、タイ農村部の開発においてUCDOとかなり似た役割をしている Rural Development Fundと合併し、Commmunity Organization Development Institute (CODI) と改組。UCDOの性格(例えば理事会の構成や、政府からのかなりの自立性、 コミュニティーづくりを開発と考えていること等)はそのままで、 さらにコミュニティーどうしのネットワーク、 特に都市部と農村部のコミュニティーのネットワークを強めることによって、 より貧困者コミュニティーの力強い発展を促せるのではないかという発想による。 下記のマーケットへのアクセスの問題に関してもより一層の発展が期待できる。

※都市コミュニティー開発局(スムスク)の考えを一言で言うと…

 これらの一連の取組は、実際に貧困者の生活レベルの改善を目指したもの。 しかし本当のねらいは、コミュニティーづくりかもしれない。 コミュニティを基礎として開発が重要。 すべての試みはコミュニティーを作っていくための手段。 すべての問題は、コミュニティーを開発していくのに役に立つ。 コミュニティーの発展こそが真の発展ではないか。 そしてコミュニティーどうしの様々なレベル・領域でのネットワークは、 貧困者にとって大きな力となり、真の発展につながる。

1つ前に戻る