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「科学の解釈学」を読む
野家啓一氏の『科学の解釈学』(新曜社 1993)は、現代の科学哲学の潮流をふまえた好著だが、hermeneuitcs of science という用語に戸惑いを覚えた読者も多かったのではないだろうか。 解釈学とは、もともとディルタイによって、精神科学に独自の方法として構想されたもので、自然科学の方法とは異質のものという考え方が支配的だからである。 論理実証主義(ヴィーン・シカゴ学派)の流れを汲む英米の科学哲学は、自然科学を「科学」の範型とした「統一科学」の構想を持つものであった。それは、 (1)自然科学的知識をエピステーメーの正嫡として認知し、その基準を満たさぬ諸々の「知識」、とりわけ従来の哲学的教説を「形而上学」ないし「無意味な命題」として退け、人文社会「科学」にたいしては、その方法を自然科学化する事を要求する (2)そのために、ある理論が「科学的」であるかどうかを、科学理論に対して中立的な言語によって記述される観察事実によって、実証ないし反証され得るかどうか、という「検証主義」の意味基準によって定め、そのような事実による検証の試練を経ないものを科学とは認めない。科学理論は、試行錯誤を繰り返しながら、改良に改良が重ねられ、漸近的に「科学的真理」へと進歩する と考えた所にある。野家氏は、このような科学哲学を「科学の論理学」と特徴付けたあとで、1960年代以降の科学哲学の新しい潮流を、「科学の解釈学」と呼んでいる。それは (1)
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