リレーエッセイ「ケアを語る」

4回   サービス業の限界に挑む(2)   介護現場から考えるケアのかたち
髙橋 美紀(訪問介護事業所 サービス提供責任者)
*写真家「髙橋蒼」としても活動しておられ、本HPにも写真を提供いただいています。

 ホームや在宅といった介護現場では、昼夜問わず、例えば寝る前には必ず水とお茶の入ったコップを2つ用意するといった好みに対する小さなお手伝いから、趣味に合わせた活動の用意(アクティビティ)などに始まり、認知症の方とのコミュニケーションや対応、排泄ができない、睡眠中の寝返りがひとりではできない、食べものを飲み込むことが難しい、等々、…それをサービス業というならば、そこで求められているサービス内容はすべて困難事例である。個人に密着した「生活」を対象としているから、そこには当然、不満や要求が多い。そのひとつひとつをサービス業に対するクレームとして受け取っていては、あるいは社会がそのように理解しているうちは、介護業界が評価されることも、ひいては良い介護へと成長していくことも難しいだろうと思う。

 夫婦が最初はお互いのことを何も知らず、毎日が新鮮で、ぶつかり合うこと、理解できないことがあっても、長年暮らしを共にしていく中で、お互いの「生活」をひとつにしていくように、介護の世界でも、利用者と介護スタッフは、時間をかけて、その個人を理解し、お互いのやり方を模索していく中でベスト、或いはベターなやり方を見出していくことが必要である。介護現場においては、求める側も、求められる側もクレームという意識ではなく、生活を一緒に成し遂げる、ひいては人生の最期を迎えるにあたっての仲間という意識が大切になると思う。

 だから、介護を「サービス業」として位置付けるならば、それは個人に最も密着した「生活」を対象とした「究極のサービス業」であり、それが達成されたときには満足感、充足感はほかでは得られないほど大きいものである。しかし、それは個人の「生活」を対象としている以上、終わりのないものであり、その意味で介護現場は、日々、「サービス業の限界」に挑んでいる。その意味では、介護業界での人材のレベルが低いとは決して思えない。むしろ、スタッフそれぞれの個性があるとはいえ、困難な課題に対し、忍耐強く取り組もうと努力を重ねている姿に励まされることも多い。それが現場で汗を流しながら、走り回りながら、でも利用者とひとつになれたときに得られる温かい気持ちに感動しながら、働いている自分自身の経験から得られた印象である。

 今、利用者とひとつになると書いたが、お互いが理解し合い、受け容れ、努力していく中で、利用者と介護スタッフがひとつになる瞬間が、必ずある。そのとき初めて利用者はこころも満たされるのである。そこに初めて「ケア」が成立した、と言えるだろう。その瞬間、利用者の表情が変わる。それは大した瞬間ではないかも知れない。発熱した額に濡れタオルを置いた瞬間に「気持ちいい…」と、表情がぱっと明るくなったとき。ターミナルで麻薬系鎮痛剤のために幻覚で、宙を必死につかもうとしていた手を握って「ここにいますよ。大丈夫ですよ。」と声をかけたら、私の顔をゆっくり見て、嬉しそうな顔になって、握った手を自分の口元に持っていって、そっとキスしてくれたお茶目なおじいさん。精神病の妄想のために混乱して不穏になっているおばあさんに体当たりで「私、誰だかわかる?」と聞いたら、「…高橋さん。」と答えてくれる。「私、嘘ついたことあった?」と聞いたら、「…。」無言になり、混乱して暴れていたのが静かに穏やかになって、いつもどおりにEケア(就寝準備)をさせてくれた。(その代わり、強迫神経症や統合失調症を患っている方には、必ずお約束はお守りするということ、態度や話の内容を一貫させる、認知症の方との対応とは異なり、嘘ではぐらかしたりしないということを徹底した方が良いと思います。)おばあさんは退室するときに小さい声で「ありがとう」と言ってくれたけれど、私の方こそ、自分が不安なときに、辛いときに、私を受け入れてくれてありがとう!という感謝の気持ちでいっぱいだった。

 そんな瞬間、こんな瞬間が、頭の中にたくさん浮かんでくる。その度に、涙が出そうになる。利用者と私(介護スタッフ)の間でひとつになった瞬間。「ケア」が成立したとき、人はとてもきれいで、素直で、美しいこころになる。でもそれは、人間がもともと持っている本来の姿だと思う。誰でも万人、ひいては万物はみな同じところから生まれ、死んでゆく。その意味では、私たちは本来ひとつになれるはず。それは介護の現場だけにあるのではなく、生活の現場にいつでも生れ得る瞬間だと思う。

 「ケア」が成立する瞬間。「ケア」という言葉の概念は極めて抽象的で掴みどころのないものだが、それが成立する瞬間は、「生活」という現場でしかあり得ない。そして、誰もが、いつでも、お互いを理解し合い、受け容れ、努力しようとする姿勢の中で成立するものである。月並みかも知れないが、「ケア」は生きてこそ論じる意義がある。今この瞬間から、他者に思いを寄せてみてください。