コラム

コ cat

 「ネコの手も借りたい」などという言葉があるくらいで、まずは人の役に立つ様子もなく、勝手気ままに生きているのがネコである。イヌを見よ!盲導犬や介助犬として、殊勝にもケアの最前線で人間に寄り添い、支えてくれているではないか。それに比べてネコときたら……。

 ものはためしにと「介助ネコ」で検索してみると、何と検索エンジンがご丁寧に「介助犬」をリストアップしてくれて、しばし絶句。気を取り直して「介護ネコ」で探してみると、出てきたのは……「老猫の介護」の苦労話ばかりでした。

 まあ、ネコも全く役に立たないわけではないが、我が家のネコ殿はせいぜいゴキブリ退治が関の山である。しかもそれをご丁寧に主人の靴の中に入れておいてくれる始末。昼間は寝てばかり、夜中に「ゴハン下さい」と騒ぎ、餌をやればやったで「これは好きではないので、食べません」とか、パソコンで仕事をしていると、一番大事なところで机に飛び乗ってきて、勝手にクリックしたり「っっっっっっk」などの意見を書き込んだりする。人をケアしようなんて気はさらさらなく、ひたすらアタシをケアして下さい、と言って、人間のふところに入り込んでくる、そういう生き物なのである。

 だがそうしたネコの勝手気ままな性分につき合って暮らしていると、なんとなく心が穏やかになってくるから、不思議なものである。夏目漱石だってネコのおかげで神経衰弱から立ち直ったというではないか。ネコを世話しているうちに、人はいつしか自分ばかりに向かって閉じていこうとする意識の悪循環から解き放たれて、外の世界に心をあずけることができるようになるのかもしれない。

 そうそう、ネコの名誉のために付け加えておくが、実際に介護などの現場で活躍する「セラピーキャット」だって存在するのである。認知症のお年寄りの暮らすアメリカの介護施設に、人生の終わりの近づいた患者を探し出して、息を引き取るまで寄り添うネコがいると、話題になったこともある。

 まあ、実際にはただ寝転がってるだけなのかもしれないが。いいじゃありませんか、ただそこにいるだけで。ケアになるのであれば。(崎川)  

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